サーカスの思い出

子供の頃、いや、小さい頃、サーカスに連れて行ってもらった記憶がある。

それは確か、盛岡の北側の方だった。
そして、屋外のスタジアムのような会場だった。

だからみたけにある運動公園だったのではないだろうか。

別件で、「岩手年鑑」を各年度調べる用事ができたので、その際に探してみたら、いとも簡単に見つけることができた。

昭和53年9月9日から1か月間にわたり、盛岡市前九年3丁目の特設会場でキグレ大サーカスが開催されたらしい。
運動公園ではなかったようだ。

「岩手年鑑」昭和55年版の巻頭写真より

屋外の観客席を、バニーガールが歩いていた。

幼児だった自分は、あろうことかそのバニーガールの股間を触り「おんなにはちんぽがない!」と叫んだのだ。
そのバニーガールには怒られた。それはそうだろう。
クレヨンしんちゃんだってこんなことはするまい。

幼児であったとか難しいことを抜きにしても、それは加害行為であり「良い思い出」として語るわけには行かない。

それでも書き残しておくことにする。

ちなみに、当該のバニーさんには当然、両腕はありました。

と、本エントリーを書くに際して色々調べていると、この盛岡の公演から1年と過ぎていなかった昭和52年11月23日の水戸公演で、公演中の落下事故でピエロが死亡したのだという。

そのピエロを演じていた青年は、最初は写真家を目指してキグレサーカスに帯同していたところ、自分もピエロをやってみたいとピエロを始め、昼夜分かたぬ努力で芸を身につけ子供たちの人気者になっていったのだという。

そのピエロの死には、多くのサーカス関係者や、ファンの親子が参列したのだという。

そして生まれた歌が、さだまさしの「道化師のソネット」であったという。

昭和55年1月には、このさだまさしが主演になって「翔べイカロスの翼」が公開されたが、もしかしてここで一緒に写っている人は、当該のバニーさんだったりしない・・?

欠損は関係ないが、これも「私的devotee史」とする。

 

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