令和7年3月23日の小笠原諸島(父島)の天気は、曇り時々晴れです。最高気温は22度、最低気温は17度で、降水確率はほぼ0パーセントと見込まれています。
曇りの理由としては、高気圧の縁に位置しているため、湿った空気が入りやすくなっていることが挙げられます。この湿った空気によって上空に雲がかかりやすくなり、日差しを遮る時間が増えているため、晴れ間はあるものの全体的には曇りがちとなっています。
なお、風や海の状態は比較的穏やかで、屋外での活動にも支障はなさそうです。
6時前に目が覚める。
しばらくベッドの中でウダウダしている。
Twitterを見ると、岩屋外相が米の輸出制限を解除してほしいと中国の外務大臣にお願いしているというニュース。
これに対し、「日本のことを解消するのが先だろう」と言う、普段岩屋外相についている親中派というイメージと合わせて非難している。
母上は6時半ぐらいに起き出して朝食の準備をしている。
昨日言っていた通り、チキンライス。
食べ終わったら、引き続き荷物の箱詰めをする。
今日からは、衣類は3着ずつぐらい使い回して後は送ってしまうことにする。つまりこれから旅行モード。
それで、40個目の段ボールまでできた。
ただ、そうなるとTシャツはおいそれと替えることもできなくなるので、散歩もこれで終わり。
母上は台所で洗い物をしているが、居間を見渡せるところにいるので、決死するのも難しい。
ところで、母上と会話する時に、ゆっくり話さないと聞き取ってもらえない。
これはもう老化なのか・・・?来年の1月にはついに後期高齢者だ。
母上は居間の桟を掃除していたが、今度は寝室を掃除するという。
ということはフィギュア類は全部片付けないといけない。
そしてベッドも倉庫部屋に運び出す。
11時になり、昼食のことを考えなければいけない。
昼食は何か作る予定なのかと聞いたら、弁当でも買って来いと言う。
それで、最初は羽衣に行くが、もうメンチカツ弁当はやらないようだ。
ということで、今回はオーベルジュサトウに行くことにする。
そこでデミグラスハンバーグ弁当と鯖味噌弁当。
そして帰宅して何もやらず。
やることもないままに「地元最高!」を読んでいたら、あの警察官になった奈良は、事実上のクビになっていたようだ。
地元のチンピラに気違いじみた追い込みをかけていたら、そのチンピラに嵌められて、癒着ということになって、辞表を書かされたようだ。
で、最近の号では古巣であったはずの警察官から「目を合わせるな」とヒソヒソされることになってしまったようだ。
それで奈良本人は「腐った組織を抜け出して私の正義を実現してやる」となってしまったようなのだ。
息子がこうやって何もしないでいるうちに、母上は寝室もきれいにしてくれた。
そのうち12時も近づいたので、弁当を食べることにする。
その後、母上は生協を見てくると言う。
夕食の材料を買いたいのか、何なのかは不明。
13時ごろ、台車の重さを確認しに職場に行くことにする。
大きな重い台車を持っていこうかと思ったが、小さな軽い台車もあるので、こちらを使わせてもらうことにしよう。
これで確認は完了。
帰宅すると、母上が持つ荷物の重さを確認したいと言う。
軽いものはさっさと早いうちに運んでもらえればありがたい。
ちょっと、思うところあって、福祉センターの図書館に行こうと思う。より正確に言えば福祉センター。
なぜなら、先週髪を切ってもらった時のお礼がAmazonで届いたのだが、火曜日の手話サークルでそれを忘れてしまうとあげる機会が訪れないので、もう今日のうちに手話サークルのロッカーに入れてしまおうというそういう算段である。
表通りは人で賑わっている。出港前にお土産を買っていかなければならないだろうから。
果たして、福祉センターに行くと、ロッカーの中にはどうにかそれだけのスペースがあったので、入れておくことにする。
そんなことをしていたら14時過ぎてしまった。
さっさと福祉センターを辞去してしばしのジャンクタイム。
14時20分過ぎに二見港に行くと、すでに乗船が始まっている。
来週両親を見送る時も大体14時には乗っててもらえばいいかな。
来週の場合は、それ以外にも見送る人はいるので。
ともかくも二見港に一番近いベンチでジャンクタイム。
流石に入港前なので、ベンチにも人が結構いる。
しかし、14時半過ぎるとそんな人たちもみんな船に乗りに行ってしまった。別れとは切ないね・・・
さて、14時40分も過ぎたので港に行くことにしよう。
高校や中学校の卒業式も終わってしまい、東京に出る人はこの便で行くことになる。
それでかなりの人混みだ。
知ってる人も数名来ている。
そして14時59分、タラップが外され笛が鳴る。この笛が感動のクライマックスだ。
そして今日はなんと「宇宙戦艦ヤマト」が演奏される。今日は自衛隊の幹部が離れるのだろうか。
そしてその宇宙戦艦ヤマトの1番が終わったところで、いつもの小笠原太鼓が始まる。
この辺は吹奏楽の人と太鼓の人で打ち合わせしてるんだろうか。
そして、おがさわら丸は出港して行った。
次の船では、兵隊2名が、その次の船では乃公自身が出ることになる。
長かったようで、やっぱり長かった2年がそれで終わるのだ。
ともかくも帰宅しよう。帰宅して何をやるわけでもなく。
そして16時半になったので、週末恒例の巉嶼洗いをすることにしよう。
おそらくは、今日が最後の巉嶼洗いになりそうだ。
というのは、当初は3月30日に持っていってもらう予定であったところ、状況が二転三転し、結局は4月5日の船で一緒に持って帰ることにしたのだ。
だから、3月30日も洗えそうなものではあるが、既に洗うのに必要なキッチンペーパー・タールリムーバー・ウェットティッシュはもう今回で枯渇することになるだろう。
それで今日が最後になるということである。
そして、社宅の水道の所で一通り洗って、キッチンペーパーで拭く。
これが巉嶼洗いの第一段階で、次の段階がチェーンをタールリムーバーで洗って、それをウェットティッシュで拭くのである。
そして最後に潤滑油をチェーンに吹き付ける。
そして、潤滑油慣らしがてら市街地を1周する。青灯台のところでやらせ決死。
岸壁には第178鳳生丸が停泊している。
そしてアイスでしばしジャンクタイム。もはや海岸の風は冷たい。
表通りはすっかり寂しくなっている。こちらもさっさと帰ることにしよう。
今日の夕食はそばにするという。
蕎麦湯まで作ってくれた。
休んでたら北海道支社の生涯学習ニキからチャット。
入ってる何かのサークルの役員をやっている老人同士が酔っ払っって喧嘩して云々。
母上が風呂から上がったので、次は乃公が入ることにする。
風呂の中では特に何もせず。
せっかく掃除してもらった風呂なので、綺麗に入ることにする。
そして22時前に風呂から上がる。
あとはもう日記を追いつかせて寝てしまおう。
今日の決死出演は4名(累計28名)。