今日、小笠原諸島では曇りがちの天気で、所々でにわか雨が予想されています。最高気温は約30°C、最低気温は27°C前後となり、湿度も高めです。午後にかけては軽い雨が降る可能性があり、風速は約20km/hとなる見込みです。
雨が降る確率が高いので、外出時は雨具の準備をしておくと良いでしょう。また、湿度も高いため、快適に過ごすための通気性の良い服装が推奨されます。
6時前に目が覚めたような気がするが、結局7時17分まで寝ている。
Twitterを見たら、首相官邸に火炎瓶を投げ込んだという事件が発生したらしい。
そのうち防災無線が鳴る。
今日のおがさわら丸の入港は11時ちょうど、乗船客数は596名であると。
防災無線が鳴るということは8時過ぎたということだ。
さっさと朝食にすることにしよう。韃靼そば。
いつもは、袋の2分の1ずつ食べているが、あまりにも量が多いような気がするので、今日から3分の1にすることにする。
これだとちょうどいい量だ。
休日出勤に出たいところではあるが、11時にはおが丸の入稿も見たいので、おそらく今から行ったところで、中途半端な時間にしかならないだろう。
休日出勤は午後にすることにしよう。
それで、最初に手話サークルの演芸大会の申し込みに行くことにする。それはまるひでやっているという。
さすがに今日は入港日なので、昨日とは違って営っているはずだ。
Google マップで確認すると、8時半から営っているという。
では今から行くことにしよう。
演芸大会の申し込みのほうは、すぐに終了した。店の人は愛想よく応じてくれた。
手話サークルは郵便局長が一生懸命やられていた事はこの人も覚えていたようだった。
ちょっと三角広場でジャンクタイムでも…と思ったら、職場からメッセージが来る。24-2からだ。
設備点検はブレーカーが落ちていたら、何か疑った方が良いのではないかと。
これに関しては、普段使わない設備なので、ブレーカーを落としている方がデフォルトだと言うことを回答する。
前も同じことがあったことに関し、わざわざ書いてしまい申し訳ないと謝っておく。
おが丸が来る11時まではまだ時間があるので帰宅して休んでいる。
そのうち10時20分も過ぎたので出ることにする。
二見港はまだ人がまばらだ。桟橋にいるのは警察官と海上保安官ぐらい。
また、スティールパンの人もいる。
そのうち汽笛が鳴って、宿の人が三々五々集まってくる。
島の人たちの社交の場でもある。
そしておがさわら丸が到着。596名の人々を吐き出す。
さて、今日はどこで昼食にしようか。
アイランドデリでもいいし、うわべ家でもいい。
ところで、五六助の跡地にオープンの予定の弁当屋は、カウンターの工事は住んでいるようだが、まだ開店する気配はない。
最初は9月に開店の予定と言っていたが、もう10月も後半だ。
それはともかく、また帰宅することにしよう。
そしてSNS周りをやってたら、12時過ぎてしまった。
さっさと外に出て昼食にしようと思ったが、アイランド・デリもうわべ家も既に完売御礼。
あめのひは営ってない。
こういう時に頼りになるのが、キャミ婆の店である。
案の定営ってたので入ることにする。今日は豚キムチ丼。
そしてまた帰宅する。
13時過ぎたが、まるで休日出勤する気になれない。
しかし、メモをまとめるだけでも月曜以降楽になる。
職場に行くと見知らぬ爺さんが2名写真なんか撮ってる。
「すみません、関係者以外立ち入り禁止にさせていただいておりまして、ご協力願います」と低姿勢で追い払う。
それが入港日だ。
さて、こちらはこちらの仕事をやらないといけない。
24−2から質問のあった件の経緯に関しては、前任者に聞けばいいだろうが、それでも前任者の残したメールに何か書いてるかもしれないので、まずはそこから調べることにする。
しかし、それらしき記述は特に何も残っていない。
ただ、メールをたぐっていくうちに、前任者もいろいろ大変だったということが分かる。
よくも病気しなかったものである。
それと、Wikiが壊れて自動リンクが外れてしまったところは、一旦消して同じ内容を新規ファイルとしてアップロードすることにする。
前任者には、チャットで聞くことにする。
今日は幸い出勤しているようだ。
結局、メモの自動リンクを復旧させるところは肉体労働ではあったがどうにか復旧させることに成功した。
質問の件は、今日は結局わからずじまい。
17時になったのでしごおわ🏃♂️💨🏢
帰宅して、硫黄島ツアーの準備をすることにする。
改めてスケジュール表を確認すると、17時半からもう受付を開始しているらしい。
という事は、夕食はもう船で食べたほうがよさそうだ。
ということで、巉嶼を走らせ二見港へ。
船客待合所では外まではみ出すような長い行列になっている。
ともかくも乗船手続きを済ませる。
今回はベッドも下の段なので、出発してから上に取り替えることにしよう。
他社の所長さんも乗るようだ。
早速Facebookに投稿してる。
18時20分、700番代の金持ちから乗船が始まる。
そのうち400番代の平民も乗船と相成る。
今回は452−5で下段なので、船が出てから上段に変えてもらうことにしよう。
デッキに出ると、数人だけが出ている。
いつもの「行ってらっしゃーい」ではない。
電波が通じるうちにSNS周りはやっておくことにする。
そして19時、暗い中を出港する。
見送りの人もいるが、「おやすみなさーい‼️」なんて言っている。
あと食料で夕食にすることにしよう。
さて、船が出たら夕食だ。
ということで4階レストランへ。
みんな腹が空いていたようで、結構並ばされた。
ともかくも、いつもやってるようなかき揚げそば。
海老はさっさと腹の中に滅ぼしてしまう。
食べ終わると、4階ロビーの所ではグッズ販売の行列。
こちらは受付で上の段にしてくれるように交渉したら、すぐに上の段にしてくれた。
荷物を、452-6に移して、7階のラウンジに行くことにする。
7階のラウンジにも、知り合いがいた。
結構知り合いが乗っている。
ちなみに、船客待合所で会った他社の所長さんは、星を見ているようだ。
明日はバードウォッチングで早起きをすると言う。
こちらは、明日は朝6時台から南硫黄島だというので、さっさと酒を飲んで寝ることにしたい。
それで、6階の売店でハイボールを買って、7階のラウンジで飲むことにする。
Kindleでダウンロードした、いかりや長介の「だめだこりゃ」を読みながら。
ドリフターズが後年続く全盛期の形になったのは昭和39年のことであるというが、昭和6年生まれのいかりやは33歳。
リーダーシップを取るにはかなり若すぎたようで、クレイジーキャッツの植木等の存在にかなり助けられていたようだ。やはり、いかりや長介にしても、リーダーシップを取るという事は非常な重圧であったようだ。
リーダーシップということに関しては、やっぱりみんなそうなんだなぁ…
このことを知るだけでも、この本を読む価値はあったと思う。
そのうち、21時が近づいて、7階のラウンジは閉まると言うので、4階のロビーに河岸を変える。
21時半過ぎ、母島が近づいたのか電波が復活したら、一気に北海道支社の生涯学習ニキからのチャットがどさっと来た。
いかりや長介の「ダメだこりゃ」に関しては、誰かしらインタビューがいかりやに思い出話をインタビューしたのをゴーストライターが起こした感じなんだろうか。
…と思ったら、全部自分で書いたもののようだ。
その次は、「プロ野球は背番号で見よ!」
プロ野球選手の背番号に関しては、乃公もこだわりがあって、特に10番台の野手が好きだ。かつての南海ホークスだと、12蔭山(広瀬)、14木塚、15大沢、16森下、19野村という布陣。
そんなことをしていたら、22時も過ぎたので、ベッドに戻ることにしよう。
ベッドでも読書は続き、結局0時を過ぎてしまった。
早く寝たくて酒を飲んだのに、これでは全く意味がない。ただ単に肝臓に負担をかけただけだった。
眠れないでいるうちに、1時すら過ぎてしまった。
明日の南硫黄島は6時だというのに、ちゃんと起きれるだろうか。
ともかくも、今日の決死出演は4名(累計12名)。