インターネットdevoteeことはじめ

フェミニスト団体叩きで今をときめく「暇空茜」さんとやらがブレイクしたのは、フェミ騎士として知られていた「シュナムル」さんの「妻子持ち京大卒」と言う自称の矛盾を暴いたことによる。

シュナムルさんはリベラルとして頑張っていたと思うのだが、こんなことになってしまうと、なかなか悲しいものがある。

それにしたって、そんなに高学歴と言うものは、ひけらかたいものであろうか。
身バレしたり、当時の同級生なんてのが出てきたら、結構厄介だと思うのだが…

かく言う自分も、それなりの学歴なんじゃないかなぁと思う事もなくはないのだが、あまりひけらかすといろいろリスキーなので、このような事はやめておきたい。
まして、フェチに立脚したアカウントであってみれば、それはなおさらのことである。

まぁそれはともかくとして、今回は、自分とインターネットの出会いに遡りたい。

1990年代の中頃に大学に入った自分は、インターネットとは、大学の電子計算機室で出会ったものだった。
当時の検索エンジンと言えば、Yahoo!とかODINとかそんなのだったと思う。
そして、ブラウザはNetscapeだった。

どうですか?読んでて懐かしくなってきましたか?

日本でも、いろいろな情報が出始めた時期だった。
まずは、主だった企業が「ホームページ」と言うものを設け始めた。

しかし、込み入った情報は、日本ではなかなか取得できず、海外の情報に頼るしかないようなものも多かった。

義肢や切断障害に関する情報だって、その一つだ。
障害者サポートの情報ですら非常に少なかったのに、まして、それに対するフェチな情報などないに等しいかった。
それでも、慣れない英語を使って一生懸命探したものである。

そうすると、まるで広大な砂浜の中から1粒の砂金を見つけたように、それ系の写真を見つけることができた。
あー、やっぱり海外には自分のような趣味の人がいるんだ。

それでも、最初は有料のサイトしかなかった。
クレジットカードで、その有料のサイトに申し込み、パスワードをもらったのだが、よくもまぁ疑いもなく海外のサイトに申し込もうと思ったものである。
そのサイトが巨額請求のサイトでなかった事は、運がよかったと言うほかは無い。

ちなみに、その時のパスワードは「7583amputee」だったのを覚えている。
だから「名古屋さん」として覚えていた。
しかし、情報量は知れたもので、そのサイトはほどなくして見なくなっていた。

そのうち、国内にもあの有名な切断障害者サポートサイトが登場する。
この頃にフェチだった人はみんな知ってるのではないだろうか。

さて、仕事も終わったので、そんな「私的devotee史」のよすがを偲んでみることにしたい。

と言うことで、行く先は新橋駅。

ここから、山手線に乗って隣の浜松町駅へ。
浜松町駅の小便小僧はクリスマスモードである…と言うのは先日も言った通り。

ここから、東京モノレールに乗ることにする。
車両は、サンリオのキキ&ララとコラボしているようだ。

キキララもかなり古いキャラクターだと思う。
少なくとも、昭和50年代からあるのではないだろうか。
ぽわんちゃんの好きなハンギョドンなんか昭和58年から昭和59年にはあったような気がする。
自分の出た小学校が木造校舎で、その近くの信号機が白緑のゼブラだった頃には既にあったのだ。

それはともかく、この時間になると、東京モノレールも直通快速も終わっており、各駅停車しか残っていないようだ。
ホームの駅長室も、昭和39年の開業当時の面影を残している。

漆黒の闇の中を、羽田空港に向けて出発する。
車内はそれほどは人がいない。
さすがにこの時間だと、飛行機も出ていないだろう。

果たして、羽田空港第3ターミナルに到着。
それなりの数の客が降りる。
それもそのはずで、夜行便なら国際便の方が多いに決まってる。

羽田空港の国際線ターミナルは、それなりの賑わいを取り戻していた。
東南アジアやヨーロッパなど、各地の便も復活し始めている。
バンコク便なんかも復活している。

そのうち、搭乗客としてまたここに来たいところである。

さて、22時半の松戸行きの新京成バスに乗ることにしよう。
しかし、第3ターミナルのバス乗り場はどこにあるのかわからないのだ。
他のターミナルに行くシャトルバスの案内だけはある。
松戸行きのバスが出ると言う。6番乗り場はどこにあるのだろうか。
探しているうちに、22時半が過ぎそうなので、もう第二ターミナルから乗ることにしよう。
第3ターミナルのバス乗り場を積極的に案内しないというのは、何かしら大人の事情でもあるのだろうか。

果たして、第二ターミナルのバス乗り場は、関東の各地にバスが出発している。
数分の間で自分が確認しただけでも、船橋、武蔵小杉、北朝霞、木更津などいろいろなところに出発していった。

そして、松戸行きは14番乗り場となる。
それなりに客は集まっていた。

そして22時45分、松戸行きが出発。
後は、ブラウザゲームでもやって過ごすだけである。
ブラウザゲームの方であるが、クラスアップした今週は苦しい戦いが続く。

ところで、東京湾岸道路は海底だけにWiMAXの電波が届かない。
仕方がないので、iPhoneのドコモもテザリングでゲームを続行する。

地上に出たときには、すでに江戸川をさかのぼって松戸に近くなっていた。
そして23時半ごろ、松戸に到着。

23時31分の新京成線があったので、それに飛び乗って帰ることにする。

そして帰宅して、ヒーターにスイッチを入れると8℃。
もう本格的な冬である。

後はもう風呂に入って寝よう。

ここまでの決死出演は3名(累計11名)。

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