体を休める日

北朝鮮KCTV「録画報道:金属工業部門で鉄鋼材生産を増やしている」より🇰🇵
まずは金属工業省から。
北朝鮮共通と言ってもいい本省建築。

こちらは金策製鉄連合企業所。
金策市は咸興と清津の間にあり、金策工業大学は平壌にあるが、この製鉄所は清津にある。
ところで北朝鮮がもし体制崩壊したら金策市は「城津」に戻るのだろうか。

目が覚めたら8時近く。
これでいいんです。休日なのだから。

まずは諸々の新聞資料の整理をする。
これからはPDF化してGoogleフォトに落とすのではなく、PDFのまま資料を取るようにしよう。
この場合、クラウドに置くわけではないので、iPad頼みとなってしまう。
こういう1つの機材に依存するやり方は好まないが、逆にいうとオフラインでも十分作業できるということでもある。
フェリーに乗った時とかに電波が途切れて暇な時とかに役に立つかもしれない。

それはともかく、今日は体を休めることに専念したい。
とは言ってもどこにも行きませんでしたというのもなんだか癪である。

ということで、今日は近場で軽くダークツーリズムを入れることにしたい。

それはどのような事件であったか。

事件の第一報は、昭和35年3月4日の読売新聞夕刊で報じられている。

前年から行方不明になっていた、東京都足立区内の33歳の理髪店主がバラバラ死体で発見されたと言うのだ。
そして逮捕されたのは、その店主の29歳の妻と21歳の傭人である。

逮捕の経緯としては、東武浅草駅と言問橋の間の裏路地をビニールの風呂敷を持った傭人が歩いていたところ、あまりに怪しいので警察官が職場質問しようとしたら、慌てて逃げたのだと言う。

最初、この傭人には「殺した犬を持っている」と答えていたと言うが、曖昧な点が多すぎ近くの医者に鑑定を頼んだら、それは人間の髪の毛であると言うのである。

警察官に供述するところでは、雇われている床屋では夫婦仲が悪く、29歳の妻は、21歳のその雇い人と情交関係を結ぶようにまでなっていたのだという。

そしてしまいには「旦那を殺してくれ」とまで懇願するようになったのだと言う。
そして雇い人は、あまりに素直にもそれを実行してしまったのである。

死体となってしまった旦那を、傭人はバラバラにして捨てることにした。

妻の供述では、旦那は大阪に行ったと言っていたのである。

翌3月5日の読売新聞では、それ以上は衝撃的な事実が報じられている。

実は、旦那を殺したのは前年の4月であり、それを床下に埋めたまま1年近くその死体と同居していたと言うのである。

そして、旦那を殺すことに積極的であったのは妻の方で、雇い人の方は一度は泣いて断ったのだが、どうしてもと言うので仕方なく手をかけたのだと言う。

悪い噂は、近くの住民にもすでに広がっていた。

旦那を始末して4ヶ月後の8月には、テレビを購入したのだと言う。
そして、客に「テレビでも見ていったら」と勧めても、奥から変な匂いがするので断られていたのだと言う。

「あの床屋は変なにおいがする不潔な店だ」と客に敬遠されるようになり、死体をどこに埋めることを考えたのだと言う。

この事件に関しては、複数の心理学者からコメントをもらっている。

曰く「普段から勝気で、家の中でもイニシアチブをとっていたような女だったのだろう。一般的に女の犯行は屋内で行われ、協力者がいることが多い」

曰く「両親の呵責などを感じないタイプの人間だ。犯罪を犯すは夜も寝れないほど悩むタイプと、自信を持って調子づくタイプとに分かれるが、この馬の場合後者の方なんだろう」

そしてまた、事件はこの雇い人の出身地である岩手県の地元紙・岩手日報でも報じられている。

それは昭和35年3月5日の岩手日報である。

その雇い人の男は、もともとは岩手県の県北の浄法寺町の出身であった。

浄法寺といえばこのブログでも行ったことがある
二戸駅からJRバスで行ったのだった。
かつては国鉄バスのバス駅として、駅舎もあったのである。

この雇い人もまた、中学校を卒業してあのバス駅から志を抱いて旅立っていったのだろう。

最初に就職した先は、まずは盛岡市内の床屋だったらしい。

理美容学校に通って技術を身に付けたと思ったら、盛岡市内でカメラを盗んで御用となり、浄法寺に帰ることになった。

そして浄法寺町内の床屋で働いていたところが、音信不通となっていたと言うのである。

そして再び連絡がついた頃には、殺人事件の容疑者となっていたと言うことである。

そして、今日はそんな事件のダークツーリズムに出かけることになる。
そして新京成線の車内の人となる。

北千住で千代田線に乗り換えて、まずは綾瀬で降りる。

綾瀬のバーガーキングでプラントベースワッパーで朝食としたい。

バーガーキングのプラントベースワッパーは、大豆ミートとは思えないほどの肉感がある。
一時期は、コロナによる流通難で出回っていなかったが、最近は復活することができたようである。

もう10時台になっていたが、11時59分までに食べる食事は「朝食」と定義している。

また、みくは首の関係で普通の衣装が着れず、にしこくん仕事には入れないので、にしこくんが絡まないお出かけの時しか充当できない。
なのでダークの前振りや図書館での仕事が多いのだ。

それはともかく朝食を食べるだけ食べたら、後は北千住から東武線に乗って浅草を目指すことにしたい。

千代田線から東武線への乗り換えは、1番後ろ側に通路があるので比較的楽である。

ちょうど、北千住始発で浅草行きの各駅停車が出発するところであった。
浅草行きの路線は、特急以外はもはやローカル線と化している。

そして浅草駅に到着。

1番北側の改札から出て、隅田川の方へ行く。
隅田川、すっかり桜が満開である。
それで、観光客で賑わっている。

こんなに多くの観光客のうち、「殺人事件の現場を見に来た」なんてのは自分ぐらいのものであろう。

成智英雄の「犯罪捜査記録 第5集 怪奇編」によれば、今では「助六夢通り」と名付けられ桜が咲き誇っているこの浅草の裏通りは、「何か後暗い人しか通っていない通り」だったと言うのである。

しかしここまで桜が満開だったら、それもスカイツリーやうんこタワーが見れるようなロケーションだったら、にしこくんを連れてくればよかったかもしれない。

ともあれ、隅田川ベリの来意はこれで果たしたことになるので、次は件の床屋の跡に行ってみることにしたい。
それは千住仲町にある。

そして浅草駅に戻り、北千住に飛び乗る。
駆け込み乗車はいけません。

そして牛田で降りて、墨堤通りを西へ進む。

そして、Google マップでは「千住中町」と言う交差点になっているところが、件の床屋のあったところである。
実踏してみると、「源長寺前」という交差点名になっていた。

床屋のあった所も全て現在は寺の敷地となっているようだった。

これでダークツーリズムは終わり。
あとは体を休めるなり、明日に備えて仕事を検討するなりしよう。

その前に昼食。
北千住に来たら珍来の麻婆豆腐にしたい。
あの町中華の麻婆豆腐こそが日本の麻婆豆腐なのだ。
日本の麻婆豆腐に「シビレ辛さ」など必要だろうか。

そしてその後は、ガストで充電しつつ明日の仕事の準備。
仕事というか직맹について。

一仕事あげて、あとはブログを付けるなど。
ダークツーリズム用の資料はGoogleフォトに落とさず、PDFで切り出すようにしてから、作業がやりやすくなった。

さて、この先は夕食を食べて、床屋に行って、ぽわんちゃんの店に行くと言うミッションが残っている。

まずは床屋に行こうか。
北千住の駅の中にQBハウスがあったはず。
探してみたら、東武の改札を過ぎた先、つまり南側の方であった。

ここで散髪をして、東武の改札の中の勝牛で夕食。
ここから千代田線のホームに行き、西日暮里乗り換えで新宿を目指す。

果たして新宿に行くと、ぽわんちゃんの店は結構な人の入りだった。
平日前とは思えない位。

それでいつものように平日前の鬱々とした気分を酒で紛らわす。

そして22時間過ぎたので、例によって代々木上原経由で帰途に就くことにする。
途中、代々木上原の小田急OXで火曜日用の「おはヨーグルト」を買う。

どうも鬱々としてるな…

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