今日の福島県白河市は、晴れ時々くもりの天気です。日中の最高気温は31度くらいまで上がり、蒸し暑くなる見込みです。朝晩は18度前後で少し涼しさも感じられそうです。
雨の心配はほとんどありませんが、日差しが強くなる時間帯もあるので、外出の際は帽子や日傘などの暑さ対策がおすすめです。
目が覚めたら6時過ぎ。
今日は週末パスで福島の方に行くことにしたい。
週末パスはもう今週末で使えなくなる。紙の切符は終わりにしたいとか、週末パスでは収益性やら他社との収入配分がどうたらとか、色々あったのだろう。
ともかくも7時59分の快速で行くことにしたいのだが、体が動かない。
それでも、どうにか7時過ぎに出発することにする。
これでは、おそらくすき家で牛丼なんて無理で、コンビニでパンぐらいしか買うものはないだろう。
つくば駅に到着すると、バス乗り場には筑波山に行く客が列をなしている。
こちらはコンビニでパンを買って食べる。
そして7時59分の快速で出発。
北千住で降りて、まずはJRの切符売り場でえきネットで予約していた。週末バスと新幹線の切符を受け取る。
そして北千住から常磐線に乗って上野へ。
座ることができたのは日暮里からだった。
そして上野で地下の新幹線ホームに行くことにする。
山形新幹線は相変わらず混乱している。
ここでカツサンドを買う。
大阪に住んでいた頃から、朝に余裕がないときの朝食はかつサンドと決まっている。
そして9時22分、郡山行きのなすの255号の中の人となる。
親子連れが何組か乗っている。
今時は、E2系でも電源が取れるのでありがたい。
ところで、小笠原村の手話サークルのLINEにまだ入っているのだが、今日は返還祭が中止なるのだという。
確かに前線が近づいているが、こんな事は異例のような気がする。
新幹線の車内は満員だったが、那須塩原でほとんどが降りてガラガラになった。
やはり、那須の観光というのがメインになっているようだ。
そして、ガラガラの車内に安堵する間もなく、新白河に到着する。
新白河の駅は、実は白河市ではなく、福島県西白河郡西郷村なのだ。
だから「福島県白河市を収鋲した」と言うには、駅前から少し歩かなければいけない。
ということで、白棚線のバスを待つ間、駅前を少し歩いて白河市域へ入ることにする。
これを以って白河市は収鋲ということにしたい。
11時10分、磐城棚倉行きのバスが来た。
このバス乗り場自体が、昭和末期の面影を残している。まだ国鉄だった頃。
そしてバスは出発。
最初はロードサイド地帯のようなところを走るが、そのうちに田園風景になっていった。
関山口というバス停を過ぎると、脇の細い道に入る。
これが、かつての「白棚線」であったバス専用道路だ。
この専用道路は、現在の集落を大きく逸れている。
それでも維持しようというのはすごい。マニア的にはありがたいが。
そして、家が増えてきて、磐城金山というバス停に到着。
ここは、かつての国鉄バスの駅があったところである。
かつては西白河郡表郷村であったが、現在は白河市に合併されている。
駅舎の代わりにプレハブが立っている。
かつては立派な駅舎があったのだ。
それでも、このプレハブ自体にもガタが来ているので、あの旧駅舎も既に無くなってからかなり経過しているのだろう。
まだ到着は11時40分ぐらいなので、昼食には早い。
11時55分ぐらいに白河行きのバスが通るので、そのタイミングで決死することにしよう。
そして、その決死が終わったあたりで昼食としたい。
歩いて少しのところに白河ラーメンの店があると言うので、そこで食べることにする。
白河ラーメンは、喜多方ラーメンと同じで、あっさりした鶏がらスープである。
今回は豪勢にワンタンチャーシュー麺+半熟卵も載せることにしよう。
そして食べ終わって、どこかに行こうと思うが、ちょっとコンビニで買い物でもしておこうか。
そう思ったら、ツルハドラッグの店内に椅子があるようだ。イートインスペースのようなので、ここでしばらく休むことにしたい。ありがたい話。
そして、13時10分も過ぎたので、磐城金山の駅に戻ることにする。
13時34分に来るはずのバスは、13時40分ごろに到着した。
社内には、部活動帰りの男子高校生が数人乗っていた。
そのうち、技能実習生とおぼしき東南アジア系の若い男が数名乗ってきた。
ほどなくして家が増えてきて、磐城棚倉の駅に到着。
駅舎は南小樽の駅舎に似ており、もしかしたら1950年代の建築である可能性もある。サッシも鉄でできている。
ネットで調べたら、どうやら昭和34年の建築であるという。見立ては当たっていた。
また、ここは、JRバスの拠点でもあるようで、洗車設備まである。
さて、ここから先、何をやろうか。
この棚倉という町には、お堀のある城跡があるようで、そこに行ってみようと思う。
しかし、日差しが激しく、熱中症になってしまいそうだ。
1段高いところには、忠霊塔がある。
戦没者を慰める石碑であるが、その隣に陸軍元帥であった畑俊六の終焉の地であると言う石碑もある。
なんでも、陸海軍を通して元帥を務めた人の最後の生き残りであったものが、この忠霊塔の除幕式に際して出席していたら、そこで脳溢血で亡くなったのだという。82歳。
どの世界でも「最後の存命者」というのはわびしいものだ。
後はまた炎天下の道を通って駅に戻る。
ちょうど、水戸行きのディーゼルカーが出発するところだった。
こちらが乗る郡山行きは15時18分発。
客は数人駅で待っていた。
観光案内所のおじいさんも冷房のない駅舎の中で大変そうだ。
出発時刻が近づいたので、ホームに行くことにする。
駅舎と島式ホームの間にはかなりスペースがあるので、貨物輸送で賑わっていたのだろうか。
そのうち、郡山行きが来た。
こちらは1両編成。
車内はどうにか座ることができた。
途中、磐城石川には駅員がいるようだ。
そして眠くなってきた頃に泉郷に到着。
ここは福島県石川郡玉川村の代表駅であるが、交換設備は取り外されている。
ここから須賀川に行く福島交通のバスは17時18分。
1時間以上以上あるがどうしようか。
近くにローソンがあるのでここでルイボス茶でも買ってから考えることにしよう。
そう思ったら、イートインスペースがある。ありがたい話だ。
ただし、冷房の冷気は来ない。長居されたくないからだろう。
ネットを見てると、「政党要件」がトレンドに来ているが、梅村みずほが参政党に行くという。
維新は4月に離党していたのだという。理由は、党内予備選で落ちたのはいいとして、それを党執行部は「今回限り」とすることに不信感を抱いたと。政治家の人生を左右するものを気まぐれで決めては取り消して、それでいいのかというのが理由だったようだ。
しかし、それでなくとも維新の中で梅村みずほの立ち位置は微妙だったようだ。梅村みずほは保守的な主義(外国人参政権・改憲・同性婚など)でいたところ、それが必ずしも維新とは一致していなかったというので、党内予備選は「梅村はずし」であったとすら言われている。
正直、碌でなしの維新から碌でなしの梅村みずほがいなくなって碌でなしの参政党に行ったところで大勢に影響はないような気がする。ただ、参政党がどこまで党勢を拡大するかは不気味である。
さて、17時31分が近づいたので、バス停に行くことにしよう。
影の掛かり方は、決死するのに最も適した状態になっている。これぞ天啓。
ここから、須賀川行きの福島交通のバスに乗ることにする。
ところが全部1000円札を使い果たしてしまったので、10,000円札しかない。
しかし、スマホのほうに1000円札を1枚入れておいたので、そちらを使うことにする。念のために入れておいてよかった。
ともかくも、まずはなだらかな丘を通って須賀川へ。
そして須賀川駅に到着。
須賀川駅はちょうど建て替わったようで、新しい橋上駅舎から出入りするようになっていた。
トイレも非常に清潔で、新築の匂いがする。
そして郡山行きに乗る。701系。
程なくして郡山に到着。
新幹線が仙台〜古川でクマに衝突して止まっていると聞いていたが、仙台以南は特に影響無いようで、19時発のやまびこ218号の指定席をすぐに発券してくれた。
そしてE2系の中の人となる。
車内ではのんべんだらりとネットでも見ている。
そういえば明日は長野方面に行こうか。小海線方面を鋲刈りして行こう。
そのためには明日は6時台に出ないといけない。
果たして大宮に到着。
大宮では夕食にしよう。
ということで東口のすた丼。
食券の前で買っているライブ帰りと思しき若い男がやたらノロノロと選んでいる。
こういう時はなるべく個人情報を探ることに。免許証の名前が見えていた。山梨市駅の旧称の人。
Sumikaというバンドが埼アリでライブツアーがあったようだ。
夕食を食べ終えて大宮駅に戻ると、20時56分のしもうさ号が10分ぐらいで出る。
ナイスタイミングだ。
ということで南流山までコーナーに座って帰る。
南流山からつくば行きの区間快速に乗ったら、飲み会帰りの大学生がゲロ吐いてる。
周囲の客がありったけのウェットティッシュを渡している。
こちらも泉郷のローソンで買った時のビニール袋を提供。
でもまあ最後まで拭き取ろうとするあたり、真面目で育ちはいいのかも知れない。
研究学園まで行くらしいので、おそらくは都内のFランク大学の学生でつくばの自宅に帰るのだろう。
ともかくもつくばで降りて帰宅する。
23時ごろ帰宅し、風呂を入れることにする。
風呂から上がったらさっさと寝ることにしよう。
そう言いつつ0時を回るのだが。
今日の決死出演は4名(累計36名)。