現実を告げる古謡

明日の小笠原諸島の天気は、午前中に一時的に雷を伴う雨が降る可能性がありますが、午後には次第に晴れ間が広がり、晴れときどき曇りの天気が予想されています。最高気温は約29℃に達し、風は南東からの風で、風速は15~20km/h程度となる見込みです。降水確率は午前中に高くなりますが、午後には低くなります。

波の高さは、1.7メートルから2.2メートル程度で推移し、特に午前中はやや高めになる予報です。午後には波の高さがやや落ち着いてくる見込みです。

あの50年前の3月24日に時効になった事件について、秋田県湯沢市が資料を欲しいと言うので、どこかの昭和の面影しか無いような小さな町を歩いている。というか、あの事件は別に湯沢で発生したわけではないのに、なおかつ我が社は警察でもないのに、なぜこちらに仕事が降ってくるのか。
そんな夢を父島行きのおがさわら丸の2等寝台で見る。
目が覚めたら奇しくも3時24分だった。

目が覚めるにはあまりに早すぎるので改めて寝ることにする。
次に目が覚めたのは6時過ぎだった。

明日から仕事だと思うと、体が極めて重い。
船は多少は揺れているが、比較的穏やかだ。
ロビーのモニターによれば、10分遅れの11時10分に到着するという。

4階のロビーで「事件・犯罪大事典」のOCRをしていたら、7時のアナウンスが鳴る。
おがさわら丸の父島到着は30分遅れの11時半であるという。

ある程度は船が揺れるので、ベッドに戻って寝ていたら8時過ぎてしまったので朝食にすることにする。
4階のレストランで洋定食A。

その後、屋上のデッキに出てみることにする。
団体の小学生たちがバードウォッチングをしている。
あの子たちにとっては、楽しい小笠原旅行の始まりであろう。
こちらにとっては、また現実が始まるだけだ。

そして、4階のロビーで、しばらく本でも読んでいることにする。
「犯罪調書 17の事件簿」を読んでいると、厚木の一家4人惨殺事件は、新潟の中学校を卒業後、厚木の大工に住み込みに行った男が昭和39年に怒られ続けた鬱憤が爆発して一家全員を殺害したというものである。
なんだかこの状況は、現在の乃公おれに重なってしまう。
いみじくも「自分もまた徒弟修行から叩き上げ、ようやく一人前の地位に這い上がり、人生にたっぷり自信を持った方が、初めて抱えた弟子にどんなふうに当たるか、おおよそのところは想像できるというもので、口をついて出るのは、大工修行の厳しさであり、いっそうの勤勉さの要求であり…」と書いている。

船酔いなのか、はたまた精神的なものなのか、とにかく心も体も重い。

そう思ったら、iPhoneに次から次と通知が来る。
電波が入ったのだ。確かに9時半ごろに電波は4本ぐらい経つのだが、実際に電波が入るのは珍しいのだ。

しかし、ブログを更新するほどの電波ではなかった。

10時過ぎると、okeiさんの「レモン林」が鳴る。
いよいよ現実に戻るのだ。

一旦ベッドに戻って下船するだけの状態にして、またデッキに出ることにしよう。

そのうちに、父島の島影が見えてきた。
観光客の歓声が上がる。
それとは裏腹に、こちらは気分がどんどん沈んでいく。そうは言ってもあと7ヶ月半だ。

さて、ベッドに戻ることにしよう。
ほどなくして、700番台の下船が始まる。

そして400番代も下船が始まる。

いよいよ帰着した。
これでまた現実が始まる。

痛いほどの小笠原の太陽の下を、表通りを観光客が歩いていく。

生協には見事なほど何もない・・・かと思ったら、冷凍食品ぐらいはある。
飢え死にするというほどではなかったようだ。

乃公おれも帰宅して旅装を解く。
Amazonで炭酸水が届いていた。
また、ヤフオクで色々届いていた。

さて、昼食はどこかで食べよう・・・と思ったら、どこも閉まっている。
もう全部売り切れたのだ。

仕方がないので、帰宅して非常食のわかめご飯でも食べることにしよう。

日記もここで一旦切り、ここから先は非公開とする。

次はイロハシャッフルから。

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