恋に狂う春

2月18日の北朝鮮KCTVニュースより🇰🇵
あいかわらず青年同盟は各地の企業所で旗振って応援中。
でもお衣装にもこだわってほしいなんて言ったら男性目線のどうたらとか言われる色々めんどうな世の中だけど…
ところで最近の各都道府県警察の音楽隊のカラーガードのスカート随分長くなってないか。
膝が出る程度までになってる。
一昔前まで、上半身は重装備なのに下半身は危険水域レベルまで短いスカートとかどこの警察音楽隊でも普通だったのに。

国際ニュースはといえば相変わらずコロナで、今回はスロバキア。
スロバキアは北では「슬로벤스꼬」(スルロベンスコ)、南では「슬로바키아」(スルロバキア)。
また、ギニアでエボラウイルス発生のニュースも。
ちなみにギニアも北では「기네」(ギネ)だが、南では「기니」。

7時ごろ起床。
何をやるでもなく。
鉄道本社マターをチンタラやるなど。

今日はどこ行こうかな。
明日は新潟の粟島に行きたい。
だから欠損バーに行ったらそのまま夜行バスに乗りたい。
だから家出る時は、旅装でそのまま出たい。

じゃ今日どこへ行くかである。
今日は久しぶりにダークツーリズム入れてみるかね。ダークを。

とりあえず洗濯物は… 今日泊まりをいれるので、コインランドリーで洗濯した方がいいだろう。
12時半ごろから始めて、終わるんは13時半ぐらい?
兎にも角にも洗ってる最中は隣の家系ラーメンでスタ丼。
ここのすた丼は塩味が強い。

終わって一旦帰宅。
新京成何を電車に乗った頃には14時回っていた。もうすぐ夕方やぞ。
そして松戸からは14:40発の特別快速。これで品川まで直通である。

さて、今日のダークツーリズムはどのような事件であったか。

それは昭和51年5月29日読売新聞夕刊で報じられている。

その日の朝、品川区の住宅地で出勤途中の若いOLが殺されたのだという。
第一発見者は現場の前のアパートに住む主婦だった。
叫び声を聞いて駆けつけてみると、包丁が刺さったままになっており、血まみれでこときれた後だった。

それは被害女性の自宅近くであり、通勤経路であった。
また、ハンドバックや中の財布はそのまま残されており、強盗ではなく怨恨による殺人であるということを示唆していた。

ただちに警視庁捜査一課による捜査が始まったが、分かったことは現場に怪しい男がいたこと。
被害女性は23歳で成蹊大文学部を卒業して駿台予備校に勤務しており、結婚の話もあったという。

成蹊大?とすれば、昭和29年生まれの安倍晋三青年も通っていたはず。
被害女性に誕生日が来ていなかったとすれば昭和27年生まれで、安倍晋三とは2つ違いということになる。
もしかしたら被害女性はキャンパス内のどこかで「農林大臣の息子」とすれ違っていたかも知れない。

事件の捜査自体はさほど難しいものでもなかったようだ。
それは翌々日の5月31日の読売新聞で報じられている。

犯人と目されていた男は、母校である大岡山の東京工業大学でガソリンをかぶって焼身し、飛び降り自殺したのである。
最悪の結末であった。

男は東工大出身であるが高校は九段高校、被害女性とは高校の先輩後輩の関係だったという。
放送部で一緒だった被害女性は、のちに殺人事件の加害者となった男に、勉強を教えてもらうなどしていたという。

被害女性から見れば「お兄ちゃんのような存在」であったという。きっと在学していた頃から恋心は感じていたのかも知れない。
そしてそれをやんわり辞退するために、そうした表現を使っていたということかも知れない。

一浪とはいえ東工大へ行った加害者と、成蹊大へ行った被害女性。
そもそもは同じ高校ではなかったかも知れないのだ。

昭和26年に生まれたと思われる加害者が高校を受験した昭和42年は、学校群制度のスタートした年だった。
日比谷高校を受験しようと思っても、同じ11群の九段高校に振り分けられるか、三田高校に振り分けられるかは分からない。

果たして、学校群制度さえ無ければ日比谷に行っていたであろう加害者と、三田に行っていたであろう被害女性は、九段高校に振り分けられることになった。
日比谷に行っていたはずの男は不貞腐れながら秋葉原で総武線に乗り換えて飯田橋を目指していたであろうか。

しかしその中で一筋の光明を見付けた。
それが後輩への恋だった。

「男の昔の恋はハードディスクに保存される」「女の昔の恋は別の恋で上書きされる」誰が言ったのかは分からないがきっとその男にもそうだったのだろう。
高校の間だけの関係だったのが、大学に入ってもなお忘れられないなかったのだ。

東工大在学中に国家公務員上級甲種試験にも合格していた秀才は、大学院を辞めて辺地医療に夢を見出し千葉大と東京医科歯科大を受験したが不合格だった。

その間、高校の頃の恋の味が忘れられなかったのだ。
手紙を書いてもダメ、電話をかけてもダメ。
果てには「もう結婚を約束した人がいるんです」。ついにthe end。

そして包丁を手に朝もやの住宅地の路地まで来てしまったーーーー

今日のダークツーリズムは、おおかた男の通学していた経路を通っていくことになる。
男は亀有に住んでいたのだ。
千代田線は最初の北千住〜大手町が昭和44年に開業している。
男が九段高校に入学した昭和42年はまだ茶色の電車が上野まで走っていたのではないだろうか。

そして上野と秋葉原で乗り換えて学校に通っていたはずだ。
大学は上野で京浜東北線に乗り換えて大井町まで行き、大井町から大岡山まで行っていたであろうか。

今では亀有からは地下鉄千代田線方面にしか行かない。
松戸からは「中電」が何と品川まで行くようになった。
そして品川からは横須賀線で西大井へ。この横須賀線も、昭和55年までは単なる貨物線であり、旅客輸送はしていなかった。
西大井駅の開業は事件から実に9年後の昭和61年となる。

その西大井駅から現場に歩いていくのだが、路地が非常に狭い…
被害女性宅もこの途中にあったが、全く別な人の表札がかかっていた。
それもそうだろう。忌まわしい思い出のあるところを毎日通ってバスに乗りたくはない…

現場もまた、非常に狭い路地にあった。
第一発見者の主婦がすんでいたであろうアパートはすでになく、壁に公明党のポスターが貼ってある。そうかそうか。
でも犯人の男は亀有からどうやって来たんだろう。始発電車で?
たぶん大井町駅からバスできたんだろうね。

さて、これから東工大にも行ってみたい。

ここからだと大井町線の下神明まで歩く感じかな・・・と思ったら、目の前に大井町行きのバスが来るではないか。

被害女性もこのバスに乗るはずだったのだ。
程なくして大井町駅に到着。

そして東急大井町線に乗ることに。
しかし京浜東北線しか止まらない大井町というのもなかなかのターミナルであり、どこに駅があるのか分かりはしない。

東京急行の大井町駅はどこ?と思いつつやっと辿り着く。
今や大井町線には急行も走っている。

溝ノ口行きの8090系に乗り、大岡山を目指す。
現在の大岡山は地下になっている。

駅からすぐの所に東京工業大学がある。
最近、聖光学院OBであるおねロリキメセク天皇が炎上し垢BANのやむなきに至ったが、オフコースの鈴木康博も聖光学院のOBであり、そして東工大のOBである。

冬の夕方は日差しが強い。これでうまく撮れるだろうか。

本館の左から入っていくそれらしき建物がある。
周囲ではダクトの音が鳴っている。さすがは工業大学。ここから日本の名だたるメーカーに卒業生が巣立っていったのだ。

新聞には「中棟2号館」とあったが、現在は呼び名がすっかり変わっている。
それらしき建物はもはや南3号館しかない。
とりあえず右左関係で行くと、さっきペギーが右向きで出たので、ジャスミンには流し目で出てもらうしかない。
少し違和感は感じるが、まあこんなものかな。

さて次は欠損バーへ行こうか。
ここからだと大岡山から目黒線に乗って目黒で乗り換え、新宿へ行く感じ?

ついでにバスタ新宿で新潟行きのバスの切符も買おう。
そう思ってる山手線で新宿へ。

南口改札からバスタ新宿へ行き、自動券売機で切符を買おうと思ったら出てこない。
だったらどうやって新潟行きのバスを?と思って新潟交通のHPを確認したらコロナで全便運休なのだという。
これがコロナ期か…

今日は旅装までしてどこへ行こう。
まあいいや。欠損バー行ってから考えよう。
西口から白61系統の練馬行きに乗ろうと思ったが17:48で出たらしく、次の17:59に乗ることに。

果たして行ってみると、店長が暇そうにしていた。
とはいえオリコンでニュースに載ったばかりでバズっている。
問い合わせも多く来ているようで、その返事に忙しいのだという。
何やかや話してたらKentyさんがきた。
Kentyさんは色々な所で飲み歩いているようで飲み屋で披瀝できるような知識を色々と持っている。
後半は延々とSM談義になっていて訳分からんかった。
その後20時に夕食の店が閉まる前に辞去する。

そしてすき家でチー牛。
今日は大人しく帰ろうか・・・と思い、国会議事堂前で乗り換えてようと思ったが、ふと虫が知らせてエスカレーターを戻り、また丸の内線に乗った。

この機会に日本最小の村だった愛知県富山村に行ってみようか。
丸の内線の車内で切符を取ってみる。何とドリーム名古屋のプレミアムシートが取れたではないか!

ということで東京駅へ。
何とQBハウスが空いていたので吸い込まれるように入る。
さてここから2時間、23:10のバスをどうやって待つか… 待合室すら閉鎖されているのだ。
気分はホームレスである。

さて23時が近づいた。
いよいよバスに乗る準備をすることにする。
決死は周囲に人がいるのも気にせず撮る。それで怒る人もいない。

そして23時10分、バスは出発。
夜の東名道を一路愛知へ…

 

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