2月11日の北朝鮮KCTVニュースより
朝鮮労働党中央委員会第8期第2回全員会の決定について20時のニュースの半分以上の時間を割いて各分科協議会の討論結果を報道する。
地方では朝鮮労働党第8回大会の決定を貫徹しましょうという宣伝扇動活動。
慈江道の縫製工場でも歌を歌いながら宣伝。
作業中に傍で歌われる女工さんたちは何を思うだろう。
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そして世界のコロナニュース。
北朝鮮でスペインは「에스빠냐」(エスパニャ)と呼ぶ。
ちなみに南では「스페인」(スペイン)。
そして例によって「世界の自然災害ニュース」。
北朝鮮にしてみれば他国の不幸を自国民に見せ、決して失政を責めるわけではないという忖度なのだろう。
ちなみにモロッコは北朝鮮ではフランス語表記(Maroc)に従い「마로끄」(マロック)。
南では英語表記に従い「모로코」(モロコ)。
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目覚めたら3時台。
二度寝して寝坊したらコトなので、そのまま起きていることにしたい。
当然外は暗い。
さあ今日は何時に出発するべきか。それとどこで朝食を食べるべきか。
結局ホテルで5時半からバイキングをやっていたので1500円払ってそれを食べる。
羽田空港への送迎バスはあったが、飛行機の時間的に決死する余裕もなさそうだったので大鳥居から京急で行くことにする。
果たして羽田空港へ。
出発案内を見ているとやたら欠航が多い。
屋上の展望デッキで決死しようと思ったら数名のオタクがカメラを向けている。
何かの機材の退役とか逆に新機材の初就航とか何かあっただろうか。
果たして出発ロビーへ行くと、北ウイングは使用せず南ウイングのみという。
帯広行きJAL573便は11番ゲートから。
これまでにない近いゲートだった。
機材はB737-800。
客の入りはまあまあ。
飛行機の中で、今朝早起きし過ぎた分を取り返すように寝る。
目が覚めたらもう十勝に入ろうとしていた。
さすが太平洋側だけに雪は薄い。
やはり十勝に来た以上は十勝の地図の前でダルマ姿で決死したい。
屋内なので光線状態は良くないが、どうにか撮影した。
案内表示版の前にはバスの案内のオッサンがいたが、カメラを向けられても嫌な顔をするでもなく、かと言ってどくでもなく。
帯広駅前までのバスは1000円で、空港内の切符売り場で乗車券を買ってそれを乗る前に運転士に渡す形となる。
飛行機の到着が遅れた分、数分遅れで帯広駅へ向けて出発。
車窓には十勝の平原が広がる。
このバスは札内川沿いに内陸へと向かう形となるが、札内川は「下る」形となる。
車窓の両側にはロードサイド地帯が広がり、帯広の市街地に入る。
そして帯広駅に到着。
帯広駅前のバスターミナルには「おびくる」という愛称が付けられている。
帯広駅前の広場にはいろいろなオブジェがあるが、小鹿のオブジェにはマスクが付けられている。
駅前の温度計は-5℃だという。
今日はまだ暖かい方。
まだ10時台なので昼食には早過ぎる。
やる事もなく「おびくる」の中で11:12の陸別行きのバスを待つ。
果たして陸別行きがやってきた。
長距離路線だからと言って観光型の車両が来るわけでもなく、普通の低床車である。
陸別行きのバスは、国道38号線のロードサイド地帯を走っていく。
凍った札内川を札内橋で渡ると、その下流側が十勝川と合流する、「帯広」の語源となるアイヌ語のo(尻)pere(割れた)perke(裂けた)p(所)=少女のと呼ばれた所となる。
札内町の次は幕別町で、国道から駅へ行く本町の交差点にはやたら古びた存在感のある建物がある。
これは「牛尾建材センター」とあるが、昭和46年まで幕別町役場だったのだという。
幕別駅で停車ししばし時間調整。
この辺りまで来ると車窓は十勝川沿いの広い平原となる。どこまでも広い雪景色。
幕別の市街地を抜けると国道242号線に入ることになる。
鉄道としての「池北線」は池田から始まっていたが、十勝と北見を結ぶ道路は幕別から始まるということになる。
そして池田に到着。池田ではトイレ休憩がある。
十勝池田はドリカムの吉田美和の出身地。ちなみに高校は中島みゆきと同じ帯広柏葉高校であるという。
山へ行こう次の日曜 昔みたいに雨が降れば川底に沈む橋越えて… と「晴れたらいいね」で歌っていたが、果たして北海道に「雨が降れば川底に沈む橋」つまり沈下橋があったのかどうか。
調べてみるとと無いわけではなかったらしい。
その十勝池田を過ぎると、風景はどんどん疎らになっていく。
松山千春の故郷・足寄へ向かう十勝バスは、その松山千春が 果てしない大空と広い大地のその中で… と歌った広い大地を営業区域とする。
そしてありがたいことにPayPayが使える。
池田の次の自治体は本別となる。
本別駅の跡はバスターミナルとなっているが現在でも鉄道時代の跨線橋が残っていた。
そして本別から先足寄の少し前の仙美里でもトイレ休憩があった。
一応トイレを口実として降りはしたが、運転手は怪訝そうな顔をしていた。「池田でトイレに行ったでしょ」と言わんばかりに。
仙美里の待合所も新しくなってはいるが、トイレの清掃はなっておらず、ただトイレ香料の匂いだけがまとわりついてきた。
池北線の頃、仙美里の隣駅は足寄駅だった。そのくらいもう足寄は近いのである。
そして足寄に到着。
バス停の前には、昔の足寄駅舎を模したような待合室があった。
ただしこれが第3セクター時代に現役で使われていたわけではない。
さて足寄でまず行きたい所は松山千春の生家である。
途中、蕎麦屋があったので入ることに。
冷たい蕎麦のセットを頼んだら、盛りそばではなくぶっかけ蕎麦だった…
果たして松山千春の生家へ。
かつては髪が長かった頃の肖像画しかなかったが現在ではハゲの時の肖像も隣に飾っている。
その下には軽トラが止まっている。農作業をやっているのだろうか。
あとは足寄のバスターミナルに戻りましょう。
廃止まで足寄駅として使われていた所は現在は道の駅として交流施設になっている。
鉄道記念館的な役割も果たしている。
陸別行きのバスまで2時間近くあるのでブログでも付けながら待つことにしよう。
この辺りの特産品といえばやはり乳製品。しかしこの「熟モッツァレラ ころ」というのはなかなか美味。
ちょっと熱っぽくないか?
この辺りで15:50になった。そろそろ16:02のバスに乗る準備をするか。
そう思ってGoogleマップを見ると、バスは仙美里に到着したらしい。
今時のGoogleはそんなことまでわかるのか。
兎も角も乗り場に行きましょ。
陸別行きのバスが来た。
あとは山の中をのんびり宿まで走るだけ。もう寝ていよう。
果たして16時47分、夕闇迫る陸別に到着。
「日本一寒い町」ということで町おこしをしているが、先週行われるはずだったしばれフェスティバスはコロナで中止。
それでも常に温度計があるようで「0℃」だという。何ともはや・・・
とりあえず陸別郵便局で現金を下ろして、セイコーマートで今晩の酒を買う。
そして陸別駅の中の宿にチェックイン。
あとはブログつけたりKCTVニュース見たりしながらハイボールで酔い潰れる…
ハイボールの500缶と350缶はつらい。
宮城県沖で地震が発生したようで、宮城と福島で震度6強だという。
これはかなりの揺れである。大丈夫か?