大石順教尼の足跡を偲ぶ旅の最後は、「堀江六人斬り」の惨劇の跡である。
「大阪府警察史 第1巻」によれば、惨劇のあった山梅楼は、
西区北堀江上通三丁目一七七番地
にあったのだという。
北に「北堀江上通二丁目」、
東に「北堀江下通二丁目」が通っているというので、街区の北東角にある建物ということになる。
どうやら、古い地図と現在の地図を重ねてみると、確かにその場所が浮かび上がってきた。 “大石順教尼の足跡を偲ぶ(3)堀江六人斬り 惨劇の跡” の続きを読む
大石順教尼の足跡を偲ぶ旅の最後は、「堀江六人斬り」の惨劇の跡である。
「大阪府警察史 第1巻」によれば、惨劇のあった山梅楼は、
西区北堀江上通三丁目一七七番地
にあったのだという。
北に「北堀江上通二丁目」、
東に「北堀江下通二丁目」が通っているというので、街区の北東角にある建物ということになる。
どうやら、古い地図と現在の地図を重ねてみると、確かにその場所が浮かび上がってきた。 “大石順教尼の足跡を偲ぶ(3)堀江六人斬り 惨劇の跡” の続きを読む
高野山奥の院の腕塚から、南海高野線で数駅降りた九度山という駅に、「萱野家」という真田幸村ゆかりの旧家があり、そこはまた「大石順教尼の記念館」として一般にも開放しているので、一度行ってみることにしたい。
現在の九度山駅は、すっかり真田幸村ムードに包まれている。
今回は、大石順教尼の足跡をたどって高野山や大阪を回ることとしたい。
大石順教尼とは?
明治21年に大阪で生まれ、13歳で堀江新地の「山梅楼」で芸妓になるも、17歳の年に山梅楼主人の兇刃による「堀江六人斬り」で唯一命を取り留めるも、両腕を失い、その後得度し出家して、一生を障害者自立のために捧げたという方である。
この大石順教尼の墓所と、両腕を供養した「腕塚」が、高野山奥の院にあるというので、行ってみることとしたい。