前線を伴った低気圧が通過して、冬型の気圧配置が強まりつつあった。
(2022年9月13日しるす)
全くもって不愉快な仕事が昨日をもって一段落したので、肩の荷が降りていた。
どういうことかと言うと、それは前の年の12月にさかのぼる。
他の課に用事があって、行ってから戻って帰ると、課の人が、
「マカちゃん、同期だっていう人から電話があったよ」
同期…?
消息の確認だったら、4月にあるはずだ。
わざわざ、仕事の電話でこちらの支社の人に「マカ君と同期です」なんて自己紹介するような案件なんて何だろう?
一瞬、良くない予感がした。
果たしてその悪い予感は当たったのである。
会社の研究所の企画運営畑にいる同期だった。(後のキモ太郎)
彼といえば、自分と同期であることを迷惑そうにしていなかったか。
それも「関係ない」「知ったこっちゃない」「常識でしょ」「人としてどうなの?」を口癖にしており、人が失敗すれば人一倍甲高い声で笑い、優秀な人や力の強そうな人には媚びへつらい、オタク系や陰キャには偉そうにする、そんな奴だった。
極め付けは、メールの宛先の順番は親しい順番に書き、自分は一番最後。
そんな、相手を見て態度を変えるような、大したコミュニケーション能力の持ち主だったのだ。
そんな同期が「彼とは同期なんです」と。
何事かと思ったら、「研究所と各支社で共同の研究をしたい。他の支社では受けてくれない」と。
研究テーマ自体は、興味のあるもので、1年間没頭するには楽しそうなものであった。
しかしだ。ここで北海道支社の自分が引き受けたとする。
そしたら「僕とマカ君の友情の賜物です」なんて言い出すのだろうか?
まあ確実に言うだろう。
彼にとっては、そのような裏表のある態度こそが「大人の社会性」だと思っている節があるからだ。
差し当たり、彼にそのような印象を持たせないように、付けれるだけの難癖を付けて、渋々引き受ける、という体を取ることにした。
周囲の席の人や課長は、さぞドン引きしたであろう。
以後の打ち合わせも、向こうは「友情があるからこそできること」であると言わんばかりの態度を続けてきた。
キモい!キモい!キモいーーーーーー!!!!
極め付けは、
「北海道支社もマンパワーが限られててやれることは限られてる」
「どうして?マカ君にも部下はいるでしょ?」
それじゃなにか?俺はお前の奴隷で、部下がいるとしたらそれもお前の奴隷なのか?
終始そんな調子だった。
そして、その説明に研究所から研究員を連れて来るという。
それが一昨日〜昨日だったのだ。
こちらは、「仕方なく対応してやってるんだ」という態度をありありと出すようにした。
その結果、彼は大人しくしていた。
部長や支社長に挨拶に行った時も、「マカ君と同期なんです」な度ということは言わず押し黙ったようになっていた。
それでよし。
しかし、彼からするとそれは「王様の耳はロバの耳」のようなものだったらしい。
ススキノでの懇親会の席上でそれは爆発した。
「彼とは同期で、長い付き合いなんです」
ああ・・・
ここから、堰を切ったように馴れ馴れしくなっていった。
果たして、懇親会は気に入ったようで「あの店のチョイス、ヒットだった」
あの、いや、そういう時は「ありがとう」じゃないんだろうか。
意地でもお礼はしたくないのか、それともお礼をするのはよそよそしい行為だと思っているのか。
本当に、ススキノから豊平橋に誘い出して突き落としてやろうと考えていた。
目撃者がおらず、雪の跡さえ消せば完全犯罪もワンチャンいけるんじゃないか。
そしてまた翌日も奮っている。
他の課の人にも研究成果を説明したいというので、その段取りを自分がやることになった。
結果返ってきたのは「い〜い仕事できました♪」
あの太田胃酸の「ありがとう、い〜い薬です」のあの口調だと思えばいい。
早よ出てけアホ!
・・・ということで、昨日の午後は一日脱力して何をやる気にもなれなかった。
そして今日は気を取り直して、倶知安に日帰り出張。
後志支庁で会議があるので、それを傍聴していればいいという。
果たして山線の中の人となった。
決死出演が間宮なのは、3月8日で「みや」の付くメンを連れていきたかったから。
これを撮ったのは確か小沢だったと思う。
向こうにはキハ150の対向列車。
倶知安に到着し、会議は1時間か2時間かその位だったと思う。
後は、帰りの列車まで倶知安の街をぶらぶらしている。
とは言っても、何があるわけでもない。
それにあくまで会社の金での出張だ。ブラブラ遊んでいいはずはない。
しかし、昨日までのあの気持ち悪い思いを考えると、いい気分転換にはなった。
枕元では車椅子のエリーを。
アンドロイドなので脚ももぎたい放題である。
しかし、この数ヶ月で「絆って何なんだろう」ということを考えさせられた。
少なくとも、どんなに頭が良くたって「こんな奴のために仕事したくない」などと思われるようになってはいけない。