千葉県北西部の今日の天気は、雨が降りやすくザーッと強まる時間もあり、外出には傘が必要な空です。気温はこの時期としてはやや高めですが、雨の影響で肌寒く感じられることもあります。降水確率は高めで、雨が残る可能性があります。雨具を用意して出かけると安心です。
目が覚めたら6時過ぎ。
しかし昨夜は2時近くまで起きていたので、もう少し寝ていたところ。
結局、起きたのは7時過ぎ。
しかし、ぼんやりして何もせず。
せめて、note小説とSNS周りはやることにしよう。
そして今日は、散歩や収鋲がてらダークツーリズムすることにしたい。
さすがに、正月三箇日のうちは、このようなダークツーリズムはしないほうがいいだろうと思ってやらないでいたのだ。
しかし、これで三箇日も明けたので、2026年初のダークツーリズムを敢行することにする。本件敢行。
まずは、どのような事件なのか。
「主要殺人事件捜査概要」(昭和27年 国家地方警察本部)をchatGPTで要約してみることにする。
昭和25年ごろ、茨城県真壁郡山川村の農家の男性(36歳)が、大金を持って家を出たまま消息を絶った。家族は「旅に出たきり帰らない」と説明していたが、近隣では蒸発や駆け落ちの噂が立ち、やがて人々の記憶から薄れていった。
2年後の昭和27年8月13日午後4時ごろ、千葉県印旛郡根郷村大篠塚の田畑で、農作業中の人が排水溝の泥の中から白骨化した人骨を発見した。通報を受けた佐倉署が現場を検分したところ、骨の損傷や配置状況から他殺の疑いが強いと判断された。

9月1日付の千葉新聞は「根郷に白骨死体」「他殺とにらんで捜査」「大金もって失踪」と報じ、静かな村に動揺が広がった。
司法解剖の結果、遺体は成人男性で、死後およそ2年が経過していることが分かった。歯型や履物の特徴が、行方不明になっていた山川村の男性と一致し、警察は身元を特定した。佐倉署はその妻を呼び出して事情を聴いたが、当初は夫の行方を知らないと主張していた。しかし取調べが続くうちに態度が崩れ、愛人と共謀して夫を殺害したことを認めた。
供述によれば、妻は東京都荒川区町屋に住む無職の男(31歳)と関係を持っており、2人の仲を妨げる夫を疎ましく思うようになっていた。ある日、妻は夫に「3人で旅行に行こう」と誘い、千葉県内で酒を飲ませて酔わせた。夫が眠り込んだところを男が首を絞め、妻もそれを手伝った。遺体は根郷村の田畑の排水溝に運ばれ、草や泥をかけて埋められたという。
昭和27年8月下旬から9月にかけて、2人は殺人および死体遺棄の容疑で逮捕された。動機は男女関係のもつれと金銭問題とされ、昭和28年初めに千葉地裁で審理が行われ、いずれも有罪となった。2年前に姿を消した男の白骨は、偶然の発見によって根郷の田畑から掘り起こされ、土の下に隠されていた真実がようやく明るみに出た。
以上のような事件となる。
まずは、つくば駅まで歩いて行くことにしよう。
社宅の裏は、まだ雪が残っている。日の当たらない北側はこのように雪が溶けないのだ。
そういう道路もまだまだあるので、やはり歩いたほうが良い。
9時42分の快速には間に合わず、次の9時50分の区間快速で行くことにする。
そういえば、朝食を食べていなかったので、守谷駅の中の吉牛で食べることにする。
ということで、守谷で一旦降りる。
そして朝食。
その後、つくばを10時12分に出た快速に乗って南流山へ。
南流山からは、武蔵野線に乗って西船橋に行く。
こちらに座ることができた。
西船橋からは総武線に乗って行く。
京成千葉線と並走するが、新京成の8800系が赤青の形成カラーになっているのは違和感である。
それもそのはずで、新京成はすでに京成電鉄に吸収合併されている。
ともかくも、総武線の黄色い電車の千葉行きはガラガラだった。
そして千葉に到着。
千葉からは、成東行きの209系が8番線から出る。
209系もすっかり房総半島の顔となったが、そのうち131系に全部置き換わってしまうのだろうか。
ともかくも、そこそこの客が乗っている209系が出発する。
ロングシート部分に座ることができた。
そして、ほどなくして物井に到着する。
これで千葉県四街道市は収鋲となる。
そして、東口から歩いて行くが、Google Mapsのナビの通り歩いていると、舗装していない河原を指し示す。本当にここでいいんだろうか。
不安になってくるが、この事件の犯人もこのような道を歩いていたのかもしれない。そういう意味では、名実共にダークツーリズムということができるだろう。
そして、東関東自動車道の下をくぐり抜けて、田園風景が広がると、また狭い道。
そこを通り抜けると、Google マップにも載っている仮面ライダーV3の等身大の像があった。
ここはまさに「大篠塚」というところなので、ほぼこの辺と見て間違いないのだろう。
周囲には、刈り取りの終わった稲作地帯と畑作地帯が広がっている。
後は、この道を八街に向かって歩いて行くだけ。
ChatGPTで健康相談したり、これまでの写真を整理することとか、歩きながらもいろいろ忙しいのである。
そのうち、国道51号線が迫ってくる。これは大洗と東京を結ぶルート。
2002年に札幌から東京に引っ越すときに、フェリーを降りてジムニーでこの道を通ったのだった。
それから24年経った今は垂直に横切っていく。
そして、通販ファッションのQVCの倉庫のところを山のほうに抜けていく。
猪が出るような山であるらしく、くくり罠も仕掛けていると言う。
その狭い道を抜けると、集落に出るが、相変わらず佐倉市内であると言う。
ところで、喉が渇いてしょうがない。
コンビニとは言わないので、どこかに自販機ぐらいないだろうか。
そう思ったら、自動車整備工場が何件か連なっている。
その中の1つに自販機があったので、お茶を買うことにする。
そしてまたまっすぐに歩いて行く。
そのうちに八街市に入る。
落花生畑と直売所が点在している。
そう思ったら、スリランカの国旗が出ている。
そして、LEDで「オープン」と書いてある。
もしかしてスリランカ料理だろうか。
そう思って入ってみたら案の定だった。
女性店員は、日本語はできないようだが、英語はできるようだった。
そして、インドのフライドライスやスリランカのカレーはあると言うことだったので、スリランカのカレーを頼んでみる。
そうすると、量の多いご飯と、小さな皿に盛ったダルカレー・バターチキンカレー・ブロッコリーとグリーンピースのカレー・コールスローサラダが来た。
母娘でやっている店のようだったが、親切に対応してくれた。
最後は、セイロンティーを出してくれた。
そんなこんなで、1時間ばかりいた。
引き続き、八街駅に向かって歩く。
到着は大体16時過ぎであると言う。確かにだんだん西日になってきた。
そして、非常に足が痛い。
明日まともに仕事できるだろうか。
そしてどうにか八街が近づいた。
そして八街駅へ。
16時32分の千葉行きに乗ればいいだろう。
ところで、八街駅は貨物線が2本もある。
往時は落花生の輸送で賑わっていたのだろう。
ともかくも千葉で黄色い電車に乗り換え。
半分寝ながら新宿を目指す。
そして新宿に早く着きすぎたので、カフェでnote小説でも書いていることにしよう。
そしていい時間になったので、POWANを目指すことにする。
POWANに着いた方には20時15分になっていた。
POWANにはりんちゃんもいた。
ひなちゃんが赤ちゃんを連れてきていた。
11日の中山競馬の話など。 JRA の人に会議室のようなスペースを取ってもらった話。
また、63 年 の 伝統のある中華料理屋に行ったという話。
また、ぽよは金沢の キャバをやめて 今は下着屋で店員をしてるらしい。
そんなこんなで 20時45分ぐらいまで。
痛い両足を引きずって新宿駅へ。
そして 黄色い電車に乗って 秋葉原へ。
秋葉原からは21時42分の区間快速に乗る。
右手小指の緑膿菌が気になりだした。
持っておくと広がってしまったり 色々 良くないことになってしまうんではないか。
そして 21時45分ぐらいにつくばに到着。
もうバスは全部で払っている。中からみんなタクシーに並んでいる。8番乗り場には近鉄バスの京都・大阪行きが二台止まっている。
そしてどうにか、タクシーに乗ることができた。
さすがに もう両足が 痛すぎて歩いて帰ることなどできない。
そして帰宅して右手小指の緑膿菌を抜いてしまうことにする。
これまでに比べてかなり多いような気がする。
そして風呂に入ることにする。
もう既に0時を回っていた。
結局、風呂から上がったのは0時半過ぎ。
さっさと寝ることにしよう。
今日の決死出演は4名(累計31名)。











