小笠原諸島は高気圧の縁辺にある。
今日一日は曇りか晴れ。
最高気温は33℃であるという。
目が覚めたら6時半。
今日は母島に行こうという時に限ってこんな時間だ。
もっとも、昨夜は0時過ぎに寝たのだが。
ともかくも朝食に十割そばは無理そうだ。
YouTubeのライブニュースでは、Microsoftの世界的な接続障害について。
サイバーテロではないとはいうが、全世界で停電やら航空機が飛び立てないやら被害が起きているらしい。
ソファーでゆっくりしている間もなく、6時50分に近づいたので、さっさと二見港に行くことにしよう。
そう思ったら、青空なのに雨がパラパラ降っているようだ。
巉嶼を二見港に走らせている間に、本格的な雨になってしまった。
ずぶ濡れになりながら、二見港の母島桟橋に行くと、人はまばらである。
今日はははじま丸が2往復するが、2便目だとおがさわら丸が到着して接続するので、そちらは満員になるのだろうか。
並ぶこともなくチケットが買えるなんて初めてのことである。
それも、カーペット席が余裕で取れるのではないだろうか。
果たしてははじま丸に乗り、カーペット席でなおかつ電源も取れるところに陣取る。
船の中では「備考・愚痴・言い訳」をどんどん進める。
6月下旬から上旬まで一気にさかのぼった。
ただ、これを公開していいのかと言うような記述もあった。しかし、仮に乃公が逆パワハラを苦にして云々とかいうことになったら、近親者は「真相を知りたい」ということになるだろう。その「真相」をいくばくかでも書くことがその目的である。
結局、6月を全部さかのぼった。
ところで、今回の旅行では炭酸水は一切飲まず、緑茶だけ飲むことにしよう。
観光客の多いところを旅行するわけで、いくらかでも感染対策はしておこうと言う肚である。
ところで、息切れしやすくなっているのはコロナの後遺症だろうか。
そのうち、船のスピードが落ちてくる。
いよいよ母島に到着するのだ。
そして母島に到着。
母島は南国の太陽が照り付けて逃げ場がないようだ。
今日はははじま丸が2往復する。10時半には父島に戻る便が出るのだ。
それで沖港のチケット売り場には切符を買う客が行列をなしている。
それに加えて、今日は第158鳳生丸が止まっているので、なかなかフォトジェニックな状態である。
しばらく、クーラーの効いた沖港の船客待合所でブログでもしていることにする。
10時半に船が出るので、かなり密な状態だ。
10時15分を過ぎると乗船が始まった。こちらも準備しよう。
ははじま丸を「見送る」なんて結構レアな経験だ。
普通であれば最低1泊はしないと見ることはできない。
ははじま丸の見送りは。鯨のぼりを振るようになっているようだ。
ほぼ毎日ははじま丸が来るとはいえ、おがさわら丸に接続する便とそうでない便はお見送りの密度は違うはずだ。
こういったところにも父島と母島のカルチャーの違いはある。
船が出てしまうと、沖港は一瞬にして静寂に包まれる。
こちらも暇になったのでどうしようか。
差し当たり、レストハウスで日記でも書いていよう。
母島まで来たのに何もしないという、ある意味かなり贅沢な時間の使い方だ。
そう思ったら時間はすぐに溶けてしまう。
もう11時半近くなったので、昼食に行くことにしよう。
そして大漁寿司に行く。ここは寿司屋といいながら、カツ丼が1番の名物。
いつもだと、12時になる頃には満員になって入れないこともあるのに、今日はガラガラ。皮肉なものだ。
ともかくも、腹いっぱいになったので、適当に歩くことにする。
とはいっても、ロース記念館に行く位なのだが。
ロース記念館に飾っている、昭和51年つまり復帰から3年目の絵なのだが、ロース記念館の前に漁船をあげている。
これは台風養生なのはわかるが、しかしロース記念館なんて集落の1番奥にあるのに、ここまで漁船を上げてきたということだろうか。
また、ロース記念館の後ろに山があるが、ロース記念館を正面から見ると、海側になるはずなので、後ろに山が移る事は無いはずなのだが。
そう思って案内を見てみると、ロース記念館自体もともとは現在の農協の売店のところにあったものを移築してきたのだそうだ。
そしてそれより前は、大正2年にさとうきびの乾燥庫として建てられたものだったのだと言う。
それが復帰してからは、農協の売店や郵便局として使われてきたのだという。
そのような、これまで何回か来たロース記念館に、今までなかった気づきを見出して、またレストハウスに戻ることにする。
またレストハウスの下というのも芸がないが、中心部のガジュマルの木の下だと、ガジュマルの実が落ちて潰れているので座れないのだ。
それでレストハウスしか居場所がないということになる。
なんだか腹が寂しくなったので、漁協の店に行って何か買うことにしよう。
ところで、すでに農協の売店は閉店している。ずいぶん早いな。
漁協の店に行くと、「地球の歩き方」とコラボした米菓があるようだ。曰くハリッサチキン味、曰くガーリックシュリンプ味、曰くトムヤムクン味。
コロナ禍で「地球の歩き方」も大変だったのだろう。外国に全くいけない時代が数年続いたのだから。
で、引き続きレストハウスで日記なんかつけている。
別に母島で何をして過ごそうと勝手ではあるのだが、なんとも贅沢な時間の使い方であることよ。
ネットで「花谷正」で調べると、まあ出てくること出てくること。
これでも、酒色に厳正だったので慕ってる兵もいたというのだから驚く。
15時になると、Twitterで欠損バーのあもりちゃんのスペースが始まる。
10月19日に欠損バーの9周年イベントをするのだという。
しかし10月はおがさわら丸は週に1回しか来ない。これに行くためには、父島を10月15日に出て26日まで戻れない。つまり2週間職場を空けないといけないということになる。私用でそれはちょっとできかねる。
15時30分頃、後ろから汽笛が聞こえてくる。ははじま丸が来たのだ。
そろそろ沖港に行こう。
母島の中心部の象徴であるガジュマルの下から入港するはは丸でにしこくん仕事しようと思ったら、そのがじゅ下で、慌ててスカートの脚を隠そうとする女性がいる。
写真を確認してみると、なんと女性が太もも丸出しで写っている。
面倒臭いことこの上ない。急いで消しゴムツールでその女性を消してしまう。
通報でもされたら人生詰む。
沖港で乗船名簿をもらう。そして早いうちに並んでおこう。カーペット席を取りたいので。
そう思ったら、15時50分ぐらいに乗船が始まった。
カーペット席は余裕で取れたが、すぐに出発してしまった。
16時半だと思ってたら16時出発だったのだ。危ないところだった。
おがさわら丸とは接続しない便だけに、客は少ない。
欠損バーのスペースでも聞きながら、iPhoneやiPadに充電でもしつつ帰途につくことにする。
あもりちゃんのスペースであるが、17時少し前に終わった。
AI要約日記の方だが、5月下旬まで坂のぼる。
かなり辛い時期で、精神的に削られる。
父島に差し掛かり、ハートロックも過ぎると次は野羊山の枕状溶岩で、気持ち悪い模様である。
そして二見港に到着。
二見港で待ってる女性が「お疲れ様」の手話をしてるので誰かと思ったら、手話サークルの人。
これからははじま丸の掃除をすると。
そういえば今日はおがさわら丸が来たので入港日。
キャベツなどを買っていかないといけない。
そして帰宅してキムチ鍋。
今回はきりたんぽ入れない。明日は入れる。
そしてソファーでぐったりしつつAI要約日記を遡らせるが、5月1日まで遡らせた。
しかし精神的に削られる。かなり辛い時期だった。
Twitter を見ると、女子体操のオリンピック代表に選ばれた宮田笙子 という19歳の選手が喫煙と飲酒で代表を辞退することになったという。それも 密告で判明したのだとゆう。
よほどこの 宮田という選手を出したくないという雰囲気が内部にあったのだろうか。「あの子がオリンピック なんてありえないよね」みたいな。
おそらくは酒飲んだり タバコ吸ったりしている写真がバッチリ撮られてて、もし体操協会で対処しないのであれば 写真週刊誌に売ってやる みたいなことを言われたのかもしれない。
22時も過ぎたので風呂に入ることにする。
もう古くて使わない写真削ってたら0時過ぎてしまった。
さっさと寝ることにしよう。
明日はイロハシャッフル。
眠れないままに、Googleで「ブログ 日記 朝食 昼食 夕食 風呂」で検索すると、読みたかったブログが出るわ出るわ。
また、クラウドRSSリーダーの「Inoreader」は、フォルダごとに分けることができるようだ。これはありがたい。
そんなことをやってたら2時過ぎてしまった。