666の出港

今日6月6日は、ヨーヨーの日、楽器の日、邦楽の日、いけばなの日、おけいこの日、D-Day(ノルマンディー上陸作戦記念日)、ロシア語の日、韓国語の日、プラネタリウムの日、環境の日(World Environment Day)。

丸丈での昼食を食べ終わり、15時のおがさわら丸出港に向けて準備することにする。
とは言え、東京での気温を調べると最高気温が26℃で最低気温は20℃であるという。長ズボンを持って行く必要はあるまい。

そして14時になった。
父上と母上は、寝袋だけは置いていくようだ。乃公おれが出るときには、片付けに来る気満々なのだ。

そして外に出ると小雨がパラついている。
丸秀でお土産を買っていくことにする。基本的にはPOWANで出せるような小分けのお菓子。

そして、出港日では恒例の蜂蜜の屋台があったので、そこで蜂蜜を買うことにする。
小さい瓶でも1300円する。

そして二見港に着くとあまり人がいない。
それでも切符売り場には行列が並んでいる。
そして乗船券に引き換える。今回は5階。
父上と母上と同じ苗字なので、同じブースにしてくれたということだろうか。

そして、5月14日の件で職場に来た警察の副署長とも目があった。
「あ、いってらっしゃい!」

そして、6階のデッキに出る。
懸念されていた決死撮影の時間と投稿の時間は十分にあった。

出港が近づくにつれ、雨がどんどん強くなっていく。
もはや水不足の懸念は皆無だろう。

いよいよタラップが外され、出港しようとなったときに「やっぱり会いましたね」と言う女性がいる。

その時は「あ、どうも」とだけ言ったが、誰なのか本当にわからなかった。

1分位でやっとわかった。81美容室の美容師だ。

そのうち船は港を離れる。
雨の中を見送り船は何隻も追いかけてくる。

見送り船から飛び込むたびに歓声が聞こえる。
最後は、海上保安庁の「さざんくろす」が高速スピンでお見送り。

後は船の部屋に戻る。
本当は595-7だったので下の段だったのだが、父上は下の段がいいと言うので交換して595-6に陣取る。

そして、ベッドの中で彬子女王の「赤と青のガウン」を読むことにする。
彬子さまの文章には気品・教養・知性が横溢しているとともに、女性らしさや日本人らしさをも感じる。

そんなことをしていたら、17時になったので、ベッドに戻ることにしよう。

船は順調に黒潮の上を航行している。

さぁ、階段を降りて外へ戻ろうと思ったら、6階の売店に他社の所長を3月で定年になった人がいるではないか。
定年というか勧奨退職かたたたきなのだが。
また父島Peel islandに来ていたらしい。この人はもう2回目では無いのだろうか。よほど島が気に入ったらしい。

もはや無職になったこのおっさんは、千鳥足だ。
「酔ってるの?」と聞くと、「行くぞ」と言う。
行きがかり上、付き合うことにした。こんな事は初めてだ。

7階のロビーに行くと、島の飲食店の店主や、運送会社の社長が飲んでいた。運送会社の社長は病院に検査に行くのだという。
また、東京海洋大学に留学しているというアメリカの女子大生もいる。亀が食べるものを研究しているのだという。日本語はうまい。

あれやこれやと会話をする。
しかし、この元所長もよほど島が好きなようだ。
飲食店の店主も「島に住みなよ」と言っている。
ただ、60歳も過ぎてしまうと、住居や医療などで色々と問題があるのだろう。

また、若い人が言っていた情報では、あの五六助弁当の跡地に、9月から新しい弁当屋がオープンするらしい。
ただし、あの量の多い弁当ではなく、きちんと味を追求する弁当らしい。

そんなこんなで、20時過ぎまで飲むことに。

締めは、4階のレストランでかき揚げそばを食べることにする。

そして食べ終わってから30分ぐらいソファー席でぐったりしてからベッドに戻ることにする。
父上と母上は既に寝ている。

ベッドに戻ってからは正体もなく寝てしまった。

今日の決死出演は2名(累計22名)。

関連するエントリ(とシステム側で自動的に判断したもの)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です