本州の南には長い前線が横たわっている。
東京や千葉は、今日1日は雨で推移するようだ。
最高気温は12〜15℃程度だという。
新宿のテルマー湯で目が覚める。7時半頃。
さすがに8時過ぎてしまうと寝坊したような感じがあるので、さっさと行動開始することにしたい。
カウンターで5600円を払って出る。
今日は、松戸の山奥に帰っても布団も何もないので、夜明かしすらできない。
だからどこかで寝るしかない。
そんな住所不定生活。
こんなの、2000年4月に室蘭支店から北海道支社に転勤になった時に、室蘭の社宅退去が4月1日で、札幌の社宅入居が4月3日だった時に、2泊分の住所不定生活を送ったとき以来だ。
あの時は、1泊は藻岩の方の健康ランドで、もう1泊は琴似の友人宅で泊まったのだった。
それはともかく朝食だ。
確か歌舞伎町の磯丸は24時間やってたような・・・
そう思って行ってみると、営業時間は18時〜5時だと。
ではやよい軒は?
・・・と思ったら、こちらも土日は営業時間が短くて、この時間はやっていないらしい。
だったらどこで食べる?
そう思って探してたら、すた丼屋を見つける。
そこで朝食にすることにしよう。
その後、喫茶店で一休みしたいが、ルミネのスタバも営っておらず、結局は改札に入ることに。
改札内のベッカーズはやっていたので入ることに。
電源も取れるのだが、椅子が高くて座りにくいのだ。
もっとも、改札内であるだけに長居は前提とされていないようだ。
さて、10時すぎたのでちょっと河岸を変えよう。
そのついでに、秋葉原の献血ルームを予約することにしよう。
・・・と思ったら、12時以降しか予約できない。
仕方がないので、12時半で予約する。
さて、秋葉原へ行きましょう。
中央線の快速は混んでいる。
そして新御茶ノ水で乗り換えて秋葉原へ。
電源の取れる喫茶店でゆっくりする。
ブラウザゲームの来週への準備をする。
あとはブログをつけるなど。
そして12時15分過ぎたので、献血ルームへ行くことにしよう。
相変わらずの雨。
そして献血ルームへ。
予約していたので、受付作業がスムーズに進む。
ところで、脈拍が112なんだがどうしようか。
水分を摂れば下がると言われているので、緑茶を2杯飲む。
程なくして、98まで下がった。
ところで、次のステップまで待っている間、iPadで作業しつつ待っているのだが、そんな暇もないほどサクサク進む。
予約しているとここまでスムーズなのか。
そして問診が終わり、検査へ。
採血は、左手の薬指に一瞬針を刺して血を出して、その出た血を採取するというスタイルに変わっていた。
確かに、これなら痛みも一瞬だ。
そしてまたiPadで作業する暇もなく献血へ。
献血中に一番気になるのが、一体どのくらいの残り時間かということ。
テレビ見せるよりこっちの方どうにかならない?と看護師さんに聞いてみると、
「そんなことができるハイスペックな機器を導入したら、献血者さんにお渡しする記念品の質が下がるなどの問題も出る。首が動く範囲で、機器の液晶パネルに残りが表示されるので見てほしい」と。
献血もまたすぐに終わり、あとは20分の休憩。
終わるのは13時48分であるという。
そしてその待機時間が終わったので、献血ルームを辞去。
あとは上野から帰ることにする。
そして松戸で新京成線に乗り換え。
そして久しぶり・・・とは言っても昨日の午前中以来だが、最寄駅へ。
もう寝ることもないと思うと、まるでよその町に来たようだ。
そしてほぼがらんどうとなった自宅に帰宅。
部屋の最終片付けを続行。
自治会長さんが、ゴミを捨ててくれると言うので、2階の階段に日付ごとに分ける。
また、風呂マットなどの大きめの荷物をどうしようかと思っていたら、奇跡的に大きなビニール袋が残っていたので、それに入れることにする。まるでRPGで何かのアイテムを発見したように。
さて、そういえばイロハシャッフルをしてなかった。
先発隊が9名もいる状態で、がらんどうの部屋の中という異色ずくめのイロハシャッフルである。
ここから先、父島に到着するまで、この陣容で行くことにする。
そういえば、宿舎の管理人に、退去時の点検をしてもらわないといけない。
火曜日にやってもらえば良いのだが。
そう思って、管理人の連絡先を見ると、なんと火曜日と木曜日は休みであると言う。
むしろ今日はいるらしい。
それで、連絡すると、「そもそも宿舎の退去は退去届を出して、1回目の点検を終えてなければいけない段階なのだ。今さら言われても。そんな事は昔のしおりに書いているはずだ。」と言われてしまった。
とりあえずやる事は、月曜日になったら退去届を書くこと。
小笠原に行くと浮かれていたら、失敗してしまった。
後は、ゴミを2階の階段に分けて去る。
ここから先の後半部分は、非公開とすることにしたい。
ここまでの決死出演は3名(累計9名)。