言葉にならないSOSの波

本日、2025年2月11日(火曜日)の小笠原諸島の天気予報をお伝えします。現在の気温は約17℃で、所により曇りとなっています。日中は風が強く、最高気温は19℃、最低気温は15℃の予想です。風速は最大で17メートル毎秒に達する見込みですので、強風にご注意ください。

6時前に目が覚める。
しかしあまり目覚めは良くない。

そのまま7時過ぎまでベッドで寝ている。
時間は無駄に過ぎていく。

8時近くなり起き出す。
まずは洗濯物を洗濯機ワシンミシンに放り込む。
今日はこの作業があるので、もう少し早く気づいていればよかった。

ともかくも朝食は韃靼そば。

8時を過ぎたので防災無線があり、おがさわら丸の入港は11時であると。
乗船客数は504名であるという。

さて、今日は8時台に休日出勤することにしよう。
その前に洗濯を干す。

太陽が激しく照っており洗濯日和である。
昨日までとは打って変わって風が弱く観光協会の鯨のぼりも元気がない。

職場に出ると24-7のバイクだけはある。
事務室に入り、まずはシフト表を作成することにする。
人事異動期はどこの支店の現場も「死のロード」であるが、どうにかやりくりしていくしかない。
それでどうにか案を出すことにする。

BGMは朝鮮中央放送。サービス残業なので気が楽だ。
しかし楽天モバイルの通信品質の悪いことよ!

次は、これまで懸案になっていた文書に関して。
意味不明とまで言われてしまうと、お作法に拘っていることができるのかどうか。
もうお作法は度外視して何をやりたいかをまず座組して、そこから後でお作法をくっつけていくというやり方がいいのかもしれない。

ともかくも、ChatGPTに関係する資料を放り込んで、御宣託を問うことにする。
その結果、リアルに「秒で」結果がはじき出された。
章立てまでしてくれている。
これを基本に、文章を作成していくことにしよう。

こんな時代になってしまうと、世の中からホワイトカラー的な職業ほど淘汰されていくのではないかと考えてしまう。
後は、いかにそれを運用していくのかというのが問われる時代になるのであろう。

そんなことをしていると、遠くから汽笛が鳴る。
おがさわら丸が二見湾に入ってきたのだ。
ちょっと休日出勤を中止して二見港に行くことにしよう。

表通りを巉嶼ざんしょを走らせて二見港へ。
既に出迎えの人がたくさんいる。

おがさわら丸は方向転換をして右舷側スターボードサイドを桟橋に横付けした。
そして、民宿など出迎えの人が下船した客を迎える。

ここでやる事はそれだけと言えばそれだけなので、後はまた職場に戻ることにする。
しかし、ここから先をどうやって組んでいくのか。めんどくさくてしょうがない。
とはいえ、別に乃公おれの実力を過大評価オーバーエスティメイするわけではないが、乃公おれがここにいるうちにこの文章は作成してしまわないと、永久にできないような気もする。
だから、この仕事をこの出張所での遺産レガシーとして残しておきたいという気持ちはある。

とは言え、12時になったらまた昼食に行くので、短い時間にできることなど限られている。

それで12時になった。
昼食を食べに行くことにしたい。
今日はがじゅまる食堂の豚天丼でも食べようかと思ったが、入港日で満席である。
仕方がないので羽衣でメンチカツ弁当を頼むことにする。

やはり15分待ち。
その間、日記を追い付かせる。

そして弁当を受け取り、二見港に近いいつものベンチで食べることにする。

食べ終わったら職場に戻り休日勤務を再開。

ともかくも文書を作成していく。
箇条書きで極めて簡潔なものをそれらしく作文していく。

ところで兵隊が「休日出勤の所すみませんが共有パソコンのアップデートして良いですか」というのでやれば?と回答。
いずれこちらのファイルはクラウドにあげてるので。
たぶんそういうやり方がこれからはメインになるだろう。
でもそれはインターネットが通じる前提での話であり、たとえば巨大地震で海底ケーブルが切れたらどうなるんだろう?確か東日本大震災でそんな例があったはず…
まあその辺りのバックアップ策も追々というか今後の人に考えてもらいましょう。

ところで関節のあたりの血流に違和感を感じたり具合が悪くなったりするのだが、これは何?エコノミークラス症候群?

さて、15時半も過ぎ、買い出しに出ることにしよう。
休日出勤はこれで終わり。

表通りを巉嶼ざんしょを走らせて生協へ。
いつも通りの盛況である。生協は盛況。

まずは生協でキャベツ・ゴマ・キムチ・高野豆腐を買う。
しかし小祝に肉が無かったらキムチ鍋なんてできない。
そのあたりは賭けになる。
しかし今日は行列が比較的短い。というかピークが終わったんだろうか。

そして生協で買い終わったら小祝に行く。
一片種ニンニクと豚細切れはあった。
これでキムチ鍋の準備は完了。

決死したら次のタイミングで他社の所長さんが小祝から出てきた。
所長さん3月30日で帰るんだって?見送りに行くよ。他にも見送る人いるし」
なんだかもうすっかり島人の会話になっている。

一旦帰宅することにする。
そして巉嶼ざんしょを洗う準備をする。
本当であれば、チェーンを洗う洗浄剤が今回の船で届けばよかったのだが、届いていない。

それで、いつものやり方で洗うことにする。
ところで、スポークが錆びついているところがあるのだが、どうやって洗ったものか…

ともかくも、潤滑油を差したら馴らしのために市街地を1周することにする。

そして、公園の入り口のあたりで決死することにする。
この辺りの景色は「楽園の入り口」という面持ちすら感じていた。
この景色を見れるのもあとどのくらいだろうか…

ともかくも帰宅することにする。
帰宅して洗濯物を取り込もうと思ったら、なんと、洗濯物が落ちているではないか。
それでも、完全にベランダが乾いているのは不幸中の幸いだった。
どうやら強風で物干しが壊れたようだ。
朝は鯨のぼりが元気がない位の凪だったが、風が強い時もあったようだ。

そして18時になったので夕食にする。
夕食はキムチ鍋。

その後事件史ブログを起こす。
だんだんつらくなってきた。

ドアをトントンする音。おそらくAmazonで何か届いたのだ。
果たして炭酸水だった。

そして21時になったので風呂に入ることにしよう。
風呂の中では踊るミエさんの生配信を聴く。
今日はミエさんはやたらテンションが低いと思ったら、5月5日のTokyo a Gogoの準備で忙しく、また300人収容の大箱で集客できるのか悩んでいるのだという。
そうは言ってもGWの真ん中なんて旅行してるに決まってる。
そして23時頃風呂から上がる。

そういえば大腸ポリープの手術の保険の書類が来ていたので必要事項を書いて今の船に間に合うように送ることにしよう。
あとは領収書のコピーを送るだけにする。

あとはもう寝ることにしよう。

今日の決死出演は4名(累計11名)。

関連するエントリ(とシステム側で自動的に判断したもの)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です