東京から伊豆諸島は高気圧に覆われている。
今日1日は曇りか晴れのようである。
東京の最高気温は25℃になるという。
おがさわら丸5階の2等船室で目が覚めたのは3時前後だった。
それもそのはずで、21時ぐらいには酔っ払ったまま寝ていたのだから。
寝る気にもなれず、昨日に引き続き彬子女王の「赤と青のガウン」を呼んでいることにする。
Kindleの本は全体のパーセンテージがわかるのだが、既に後半に入っていた。
そしてベッドの中で読了してしまう。
1人の日本人女性の留学生として興味深く読むことができた。
それでもまだ6時位にしかなっていないので、引き続きKindleでゴルゴ13の211巻を読むことにする。
相変わらず、南米のダメ記者・梶本が出てくる。実は京大卒だったらしい。「京大卒のダメ人間」と言うのは、ある程度以上の規模の会社であれば割とどこにでもいるようだ。もちろん我が社にもいる。
そんなことをしていたら、7時過ぎてしまったので、ちょっと上に上がることにしよう。
父上と母上は4階のレストランに行かず、持ってきたおにぎりを食べると言う。
すでに、八丈島は過ぎたところであった。
しかし、電波は入るようなので、1つ決死して投稿してみようか。
すると、うまくいった。
そして、7階のラウンジでおにぎりを食べることにする。
鮭のおにぎりは梅干しが入っていないので、そちらを選ぶことにする。
そして、4階のロビーでしばらく過ごすことにする。
そのうち、他社の所長が来た。
東京で会議があるのだそうで、15日の便で帰ってくるのだそうだ。
また、その東京に寄った時に人事の希望を出すのだと言う。確かに他社でもそういうシーズンになっているようだ。
その所長さんは、ワイルドな職場に耐性があるようで、我が社のワイルド職場にも行ってみたいと言う。
それはありがたい人材だ。本気で課長に相談してみようかと思う。はっきり言って乃公に白羽の矢が立つのは勘弁だ。
とは言え、向こうから人が来るという事は、わが社からも向こうに人を出さなければいけないわけで、その白羽の矢が乃公に立つというのは御免蒙りたい。今更になってよその家の釜の飯を食う自信はない。
そんな利己的な事情から、これは非現実的だと結論付けるしかない。
そしてまたベッドで寝ることにする。
ベッドの中では「ユキの日記」を読む。1950年代に精神分裂症を発症した少女の日記。
日記をつける理由は、その時何を考えていたかを書き記すためである、と。まさにそうなのだ。
20歳ごろに発症したというが、いかにもというような記述はない。ひたすら自らの内面世界が描かれているだけである。「日記とは時代と人生が分かるもの」という視点で読もうと思うと、面白く読めるものではない。
そんなことをしていたら、12時近くなった。
父親は昼食を食べに行くと言う。母上は食欲がないので行かないと言う。
そして、4階の食堂で、父上はマグロのとろろ丼がなかったので生姜焼き定食、乃公はかき揚げそば。
向こうにはすでに三浦半島が見えている。
食べ終わって7階のデッキに出ると、既に左舷側に三浦半島、右舷側には房総半島が見えている。
また、巨大なコンテナ船やタンカーも出入りしている。
そして、デッキのテーブルで昨日の日記でもつけようと思ったが、なかなか電波が入らない。
定時であれば、12時半ぐらいには電波が入るはずなのに。何より房総半島はすぐ先に見えているのに。
そのうち電波が入ったので、昨日の日記をアップする。
そしてしばらくのんびりしていると、父上と母上がやってきた。
思い思いに東京湾を見ている。
そう思ったら24−4も来た。
そういえば3航海休むんだったか。
そろそろ13時も過ぎたので、シャワーを浴びることにする。
シャワーを浴びるなら、東京湾の真ん中に来てどちらからも電波が来ないタイミングがいい。
ということで5階のシャワーに行ったら満室。
仕方がないので、4階でシャワー。
その後ベッドに戻る。
iPadの充電しつつ。
そろそろ14時半回ったので、6階のデッキに出てみることにする。
一番後ろからであれば出れると思ったら、横からでも出ることができた。
あくまで14時で閉鎖するのは7階のラウンジだけのようだ。
左舷側には羽田空港が見える。
飛行機がどんどん飛び立って、そして着陸する。
そのうちコンテナターミナルが見えてくる。
巨大なコンテナ船が何隻も横付けされ、コンテナの上げ下ろしをしている。
その前を東海汽船の高速艇が通り過ぎて行く。
14時15分に竹芝を出発した大島行きのセブンアイランドだ。
そして東京タワーやレインボーブリッジをくぐる。
そろそろ下船の準備をしよう。
とはいえ、今日は持ってきたものが少ない。
特に食糧は一切持ってこなかった。
父上と母上は高田馬場を経由して帰るという。
果たして竹芝桟橋に到着。
7階の金持ちから降りていくのはいつものこと。
竹芝桟橋では村長が出迎えていた。内地出張していたらしい。
そして浜松町駅から山手線に乗る。
母上は京浜東北線に乗ろうとしていたので「あっちは横浜に行く方!」と制する。
どうにか座ることができた。
そう思ったら、目黒を過ぎたあたりで電話。
誰かと思ったら小笠原海運だった。
「595−6に青いポシェットに入った充電器をお忘れのようですが」え?そうだった?
明日取りに行くので、竹芝桟橋に置いててもらうようにお願いする。
ともかくも新宿で降りることにする。
新宿駅にて親孝行は終わり。
ここからは欠損充に入ることとする。
新宿から丸ノ内線に乗り換えて新宿御苑前へ。
御苑前のファミマで3wayのケーブルを買うことにする。
こんなことをしてるので、家にも荷物が増えるわけだ。
ともかくも、18時までの時間をこのあたりの喫茶店で潰すことにしよう。
・・・と思ったが、iPhoneのバッテリーは50%近くになっている。
これではこの先持ちそうにない。
それで、少し遠くなるがサンマルクで時間を潰すことにする。
Twitterでは、間下隼人というプロレスラーの娘が77歳の老人の車に轢き逃げされたと。
その娘は命に別状はないようだが、77歳の老人は「お父さんが怖いので心理的に抵抗があり謝りに行けない」と言ってるのだという。
頓珍漢な被害者アピールは社会的にはもっといじめたい、いじめてもOKという嗜虐欲を掻き立てられる物件であろう。
父上は、次回の講習で免許を返納するという。
乃公も定年になったらさっさと免許を返納したい。
そのうち18時が近づいたのでひなちゃん(ぽわんちゃん)の待つ同伴の店へ向かうことに。
琴音ちゃんも来てるというが、来てくれるかどうかは不明。
案の定ひなちゃん(ぽわんちゃん)だけだった。
POWANの常連さんの経営している店。
気仙沼ホルモンとか色々食べる。
琴音ちゃんは来てくれない。仕事で遅れるようだ。
何だかお互いに息切れ気味。
こちらからは島の現況や5月14日の事件など。
結局19時40分ごろ移動することに。
靖国通りを西進してPOWANへ。
そしたら後ろから琴音ちゃんがやってきた。
そしてPOWANで琴音デーが始まる。
そのうちカヘヲレさん・じゅんじぃーさん、小川ちゃん、伊東さん、小野さん、どぅーはまさん、TERUさんと懐かしいメンバー。
昭和の話とか色々。こちらからは小笠原にはギャルママが多いなど。
琴音ちゃんも仕事を始めたという。そんな話も色々。
そんな中、北海道支社の生涯学習ニキからメールが転送されてくる。
本社の方針が碌な説明もなく七顛八倒したようでそれに課長が抗議したと。
支社も苦労してるのだろうが、こういうメールを見せられると気が重くなる。
とてもPOWANで楽しく酒飲んでるような状況じゃない。
なんだか一気に暗くなってしまった。
ともかくも0時まで飲む。
今日はシャンパン入れたので34,100円費消。
あとは都電の入庫線だったところを通って快活へ。
この日本社会は誰も彼もがストレスを抱えている。
正義という棍棒を手にしたら死ぬまで殴りかかってくる怖さがある。
今日の決死出演は4名(累計26名)。