いつか行こうと思っていた東京国立博物館の縄文展に、今日行くことにしたい。
土偶には
腕が無いから
美しい
腕があったら
美しくない(五七五七七) pic.twitter.com/JrxtTDlne8— うん国際人マカマカだよ🌏 (@Venus_Revue) 2018年7月2日
ということで、千代田区のプールがある神田から山手線に乗って上野を目指すことにする。
別に京浜東北線でもいいのだが(しかも快速運転時間中)、早く来たのが山手線だからである。
そうすると、京浜東北線の快速も来た。向こうは御徒町には止まらないので、向こうに乗った方が早いのかもしれない。しかし座れたので山手線に乗ることにする。
結局、上野駅到着の時点で差は縮まったが、山手線の方が早く到着した。
ただし、先に出発したのは京浜東北の方であった。
さて、それはともかく博物館へ行きましょう。
博物館へは、台東区でやってるコミュニティバスである「東西ぐるりん」で行くことにする。ただし運行は京成バスに委託しているようである。
さて国立博物館に着きましたと。
今回は気合の入った案件なので、決死撮影モデルはエース楼山(Y)に登場願う事にする。
夏休み期間も最後であるためか入場者も多いようである。
それも、常設展だけの展示は大して列ができておらず、縄文展目当ての客が多いようである。
驚いたことに博物館の外へ出て、道路の角を曲がった所まで続いていた。
この写真を撮った時と、チケット売り場に着いた時に取った写真のタイムスタンプの差を取ってみると21分。
そして博物館の敷地内に入り、平成館を目指す。
平成館は奥まったところにある。
そして、縄文展の会場である平成館でも入場制限が掛かっていて待ち行列ができている。
平成館の前には、「美のはじまり」と題した土偶のパネルがある。
これは「縄文の女神」と呼ばれているのだそうな。
「縄文の女神」は山形県で出土した八頭身の女性をかたどったもので、縄文時代中期という約4500年前のものであるそうな。
作った目的は定かではないが、呪術や儀礼に使用され他のではないかと言われている。
完全な形で出土したのは非常に珍しく、それでも最初から両腕はない。
やはり「女性美に腕は必要ない」という事が縄文時代からの真理であるという事が明確に分かろうというものである。
会場は4つに分かれており、最初は火焔型土器などが展示している。
縄文時代なんて別に豪族がいたわけでもない。だから、このような美しい紋様の入った土器を、一般の家で普段使いしていたという事になるだろうか。
また、粘土を焼いて器にしようということを、縄文時代の誰がどのようにして発明したのか
また、日本で縄文時代だった頃、大陸では新石器時代だったようである。
そのような展示もされていた。
中には、猪や猿をかたどった土偶もある。なかなかリアルな出来であった。
やっぱりこれらも呪術や祭礼に使われていたのであろうか。
別に縄文時代に文字があったわけではないので、何年研究しようとも知りようがないのだろう。
ちなみに「文字」の発生は紀元前35世紀のメソポタミア文明の楔形文字なのだそうで、日本では縄文後期となる。
そして日本に漢字が伝来したのは、4世紀の古墳時代であるというので、そこまでの縄文時代・弥生時代・古墳時代前期の歴史は文字として残っているわけではないということになる。
そして今回の縄文展の目玉は、各地の博物館に保存されている縄文の国宝が全部集結するという事である。
平成館のエントランスにその6つのうち5つのレプリカがあり、左から、
- 仮面の女神
- 中空土偶
- 合掌土偶
- 縄文のビーナス
- 縄文の女神
となる。(あと1つは火焔型土器)
「縄文のビーナス」は、長野県茅野市の棚畑遺跡から出土したものであるという。
腹の出具合から、妊婦を象ったのではないかと言われている。
「縄文の女神」同様に両腕は略されており、「ビーナス」と呼ぶにふさわしいものであることがわかる。
大切なことなので二度言いますが、「女性美に両腕が必要ないという事は縄文時代から分かっていた真理」であるという認識を改めて確認した東京国立博物館での特別展であった。
ところで、今回はいわゆる「にしこくん仕事」であったが、そのにしこくんの作者である西尾有未先生も、今日縄文展を見に来られたのだという。何たる偶然か・・・
JOMON展やっと行けた👀
縄文人の美意識すごすぎる…何千年、何万年前のものと思えない創造力豊かな”作品”たち出会えました。 pic.twitter.com/SIus05DEmZ— 西尾 有未 (@Yumi_Nishio) 2018年8月28日