北朝鮮KCTV「録画報道:年間人民経済計画を輝かしく完遂する単位たちが立ち上がっている」より🇰🇵
まずは東海岸の江原道と咸興南道の先にある川内里セメント工場にて。
ここは日帝時代からある歴史ある工場である。
次は慈江道は熙川製糸工場にて。
お蚕様から輝くような絹糸が産出される。
7時過ぎに起床。
今日は正丸峠まで行ってみるか…
そう思ったが体力がどうも持ちそうに無い。
どうせなら、オミクロン株で揺れる成田空港にでも行ってみようか。
まず最初にイロハシャッフル。
そんなことを言いつつ、結局10時過ぎに行動開始。
何でこう一々遅いのか…
まずはオリジン弁当のイートインで朝食。
おにぎり3つ頼んだが、結局2つまでしか食えず。
ともかく新京成線の、いつもの定期券の方向とは逆方向の車内の人となる。
そして京成津田沼に到着。
新京成線の電車は千葉中央行きのようで、まだまだお客が乗ってくる。
こちらは京成本線に乗り換える。
4番線には「京成臼井」行きの各駅停車が止まっている。
少し前の幕式であれば「うすい」と平仮名表記であった。
ほどなくして、成田空港行きの特急がやってくる。
特急といっても、当然スカイライナーではない。
料金のいらない電車に揺られてまずは京成成田を目指す。
客は少なく、余裕を持って座ることができる。
そして京成成田で、芝山千代田行きに乗り換える。JR
芝山千代田行きは、京成成田との間をピストン運行しているようだった。
そして芝山千代田行きに乗り、ほどなくして終点に到着。
ここは京成電鉄ではなく芝山鉄道となる。
成田空港の貨物地区が周囲に広がる。
それほど田舎と言う雰囲気ではない。
コロナでも、貨物便だけは盛んなようだ。
一旦降りようと思ったら、芝山千代田駅はSuicaが使えないのだと言う。
仕方がないので、200円払って出場する。
芝山町は、埴輪で町おこしをしようとしているようだ。
駅前は特段見るものもないので、踵を返して戻ることにする。
事実、使用していない向こう側のホームには、「成田空港」と言う駅名標がまだ残っている。
駅構内は、現在でも「成田空港駅」だった頃の面影が随所に残っている。
しかし人は全くいない。
駅前に出ると恐竜無機質な道路と高架橋とフェンスだけが広がる。
どこをどんなふうに行けば成田空港の第一ターミナルに到着するのか全くわからない。
とりあえず道なりに歩いてみることにする。
歩道橋のようなところを上ると、高速道路の脇に歩道がある。
ここを歩けばいいのか?
しかしどう見ても空港ターミナルに行けそうにないトンネルである。
それに監視カメラも付いているようだ。
一旦戻ることにしよう。
改めて、東成田駅の案内図を見てみると、正面から出るのでは無く、脇の出口から出るようだ。
そこには「第5ゲート」とある。
そして、機動隊でもいそうな物々しいゲートを出ると、物流基地のようなところに出た。
この交差点を左に曲がって直進すると、第一ターミナルになるようだった。
誠にもって無機質な地帯であることよ。
あの東成田駅が成田空港駅として現役だった頃は、やはりこの道を歩いていたのだろうか?
ものの10分も歩いただろうか、成田空港の案内が見えてきた。
そういえば、東成田の駅から旅客ターミナルまでの道のりは、異様に案内が無いのが気になった。
そして成田空港の第一ターミナルに入る。
地下のJRと京成の駅周辺は、割と人がいるような気がする。
ちょっとエスカレーターで、出発ロビーに上がってみることにしよう。
出発ロビーは、ほとんど人がいなかった。
自分同様に、冷やかしで来てるとおぼしき客も何人かいた。
出発便は、ソウル便、ジャカルタ便、バンコク便、ホノルル便で終わり。
というか、この状況でも海外に行く人が存在するというのがすごい。
2週間の待機期間も気にならない人なのだろうが、自分もそのような身分になってみたいものである。
そして、駅の改札前のスターバックスで、ブログをつけていることにする。
そして、良い時間になったので、JRの快速で東京を目指すことにする。
車両は、E235系だった。
秋葉原のヨドバシで、カメラを修理に出す。
オリンパスのTG-6は、オリンパスの社内の事情で修理期間が伸びると言う。
オリンパスは、カメラ事業を他の会社に打ったはずだが、新商品の開発をしてくれるのだろうか。
それもこれも、後継機種さえ開発すれば良い話ではあるのだが、ここ2年間出ていない。
それはともかく、バーガーキングへ行って、プラントワッパーと言う大豆ミートのワッパーで夕食。
その後、常磐線で帰宅する。
風呂に入る気力もなく。
今日は成田だけで結構な「お出かけ」ができた。