小笠原付近は、2つの高気圧の間にある。
今日は雨のち曇りになるようだ。
最高気温は19℃であるという。
海外に家族がいる同僚が集まって、プレゼントを送ろうという夢を父島行きのおがさわら丸の2等寝台の中で見る。
6時前に目が覚める。
ところで、腹の中にえらいガスが溜まっている。
トイレに駆け込んで放出する。
正月三が日はクソリプやらレスバやら、事件史起こしやら、良くないことは控えてきたが今日からは通常モードで大いに荒らし回ることにしたい。
ロビーでしばらく日記を音声入力していることにするが、さしたる空腹感は無い。
外は暗く、日の出を待つうちにさっさと朝食にしたいところである。
ただし、4階レストランの営業時間は7時から。
結局、ベッドに戻ることにする。
日の出を待つ間、引き続き永井荷風の日記を読んでいる。
ついに大正12年まで来た。
7時になると船内アナウンスがかかる。
父島到着は11時の予定であるという。ちなみに天気は雨であるとのこと。
7時も過ぎたので、ちょっとデッキに出てみようか。
とは言っても、6階の一番最後尾のところ。
外は雨が降っている。
それでも、揺れはさほどではない。
写真を撮るに際し、まずはGPSの電波を取らなければいけない。
先代のTG-6に比べて、このTG-7は気持ち早いかなという程度。
決死したら、後は朝食にしよう。
4階のレストランでいつもの洋定食B。
しかし、本来は和定食の方がよかったかもしれない。和定食Aであれば魚の切り身も付かないので、後は豆腐とかいろいろ買えばいいだけだ。
しばらく、ロビーで腹ごなししていることにしよう。
雨は降っているものの、iPadで本を読めないというほどではない。
荷風の日記であるが、大正12年3月5日になると「ラジウムの治療のために日本橋高砂町の病院に行く。待合室で芸者風の30がらみの美人に『荷風先生の小説ずっと読んでたんです。深川座とか真砂座とかでも狂言見に行ってました』と親しげに話しかけられた」とある。
大正12年5月2日は「台所で牛乳を温めていたら、頻りに表の呼び鈴を鳴らす人がいる。誰かと思えば洋服を着た知らない男。浅草の金貸しだそうで、返済の期限は既に過ぎているがいつ返済するんだと言う。証書を見てみると債務者の名前は同じ名前だが、筆跡は全く別人だ。そういえば逗子の別荘を売却した時、横須賀の登記所で海軍造船所の技師で同姓同名の人がいるのを思い出した。このことを率直に話せばよかったのだろうが、この金貸しの男があまりに無礼なのでちょっと翻弄してやろうと思う。それで『この証書は少し疑問の点があるので、返済できるかどうかは即答できない』として、日を定めて再会することにした。ところで、その同姓同名の人は、幕末の若年寄を務めた人の末裔であるが、上野の桜木町の邸宅はどうなっているだろうか」という。
ところで、「頻尿」ならぬ「頻便」で、しきりにトイレに行きたくなる。
1回で出るなら出て欲しいものだが。
次に、徳川夢声戦争日記を読むことにする。
昭和17年6月13日には放送局から依頼があり「南方に慰問に言ってくれないか」という依頼がある。この時期、大洋丸という船がアメリカの潜水艦に撃沈させられ、多数の優秀な技術者が犠牲になったと言うことがあったことから、奥さんに「遺書を書いていけ」と言われたようだ。
翌6月14日になると、前日に衝動買いした千手観音の人形は、指が欠損しているようだが気にしないことにする。顔の出来を見ると支那の作だと分かる、と。
まるで気分は欠損フィギュアだ。
そう思ったら、8時40分ごろ電波が4本経つ。
だいたい聟島に差し掛かろうとするあたり。
しかし、ネットができるわけではない。
しばらくベッドに引きこもることにしよう。
そう思ったら、乗船券がない。
これは下船時に回収するので必要なはずだ。
しかし、なくしたということであれば、早めに申請したほうがよかろう。
それで、受付に申請したら「落としてましたよ」と難なくゲットバックすることができた。
そのついでに、7階のラウンジでゆっくりしていることにしよう。
つくづく、外こもり体質だと思わされる。中でじっとしていることができないのだ。
これでは腹も減るわけだ。
そう思ったら、北海道支社の生涯学習ニキからちょっとした。
少しは電波が入るらしい。
iPadを持ってきてないので、日記を進めるか、あるいはiPadに入れている佐藤栄作日記でも読むしかない。
どうやら昭和29年5月位まで読み進み、検察に呼ばれたようだが、そもそもこの時点でどういう役職にあったのかがわからないと前提もわからず、読むこともできない。
いっそのこと、最初の昭和27年1月から読み始めることにしようか。
この時点で、第三次吉田内閣の郵政大臣兼電気通信大臣だったようだ。
正月には、リッジウェイ司令官の宴が帝国ホテルであったようだが、この時点ではまだ講和前のoccupied Japan。
10時近くなると、かなり父島の島影がはっきり見えるようになる。
そして携帯での通信が可能になったので、にしこくん仕事。
しばらく6階のデッキで、海風を浴びながらネットをしていることにする。
そして、これからの予定をいろいろ確認するのだが、その上で今のうちにシャワーを浴びておこうということにした。
ということで、4階に降りてシャワーを浴びる。
ベッドに戻り、下船の準備をしてから引き続き佐藤栄作の日記を読んでいる。
昭和28年1月に入ると、講和後独立して初めての正月ということで、内閣一同が皇居に拝賀の式典を行っている。
10時半が過ぎ、おがさわら丸の速度が目に見えて落ちてきたのがわかる。
10時44分、エンジンが落ちる。
そして10時47分、下船を開始する。
7階には人がいないようで、4階もすぐ下船となる。
こんなのは全く初めてだ。
島は雨が降っていた。
とはいっても傘が必要なほどではない。
まずは生協によってキャベツを買う。
1玉470円位だったようだが、半額になっている。何しろ今日が入港日なので。
帰宅するとAmazonが届いていた。
これで今日の前半の公開部分は切りたい。
ここまでの決死出演は2名(累計2名)。